三百六十五 「清水寺」
夕方、山仁さんのところに顔を出して波多野さんや田上さんが落ち着いてるのを確かめて、僕と沙奈子は家に帰ってきた。
お風呂に入って寛いで、家族の一時を実感する。絵里奈や玲那の顔を見て、いつもと変わりないのを確かめた。
これが我が家のやり方なんだよね。
月曜日からはまた、淡々とした毎日を送る。金曜日まで、何もない、何も起こらない素晴らしい毎日だった。その中でも沙奈子と絵里奈の商品は次々と売れていって、すごく順調だった。これなら本当に仕事にしてしまってもいいんだろうな。一年くらい様子を見てそれでも安定してたらいよいよ起業しようっていうことを家族で話し合って決めた。
『私も頑張る』
玲那がそうメッセージを送ってきて、気合を入れるみたいにぐっと拳を握り締めてた。
ところで、沙奈子の品物については、この子を働かせてることにしないようにというのもあって売り上げの全部を渡そうってことになってたんだけど、それは沙奈子に断られた。
『私も玲那お姉ちゃんの役に立ちたい…。お金はお姉ちゃんのために使って』
って。
ああもう、十一歳の女の子にこんな気を遣わせるのが大人としてすごく情けない。そこで、沙奈子の分の売り上げについては絵里奈に管理してもらって預金することにした。いずれ沙奈子自身にとってもそれが必要になる時がくるだろうから。
それはそれとして、今週はまた、莉奈が着られるサイズのドレスの制作に入ってる。果奈用のばかり作ってるとこっちの勘が鈍るかもしれないってことで、絵里奈の指示だった。でもどっちにしてももう手慣れたもんだなあ。見てても危なっかしさがほとんどない。すっかり熟練の職人さんの貫禄を感じる。まさに『手に職』って感じだった。
その一方で、沙奈子は、アニメは千早ちゃんたちと一緒に見てるらしいけど、それ以外のテレビやインタ-ネット、ゲーム、芸能といったものには相変わらず興味を示すことがなかった。その分を全てこうして服作りに費やしてる感じなんだ。よっぽど楽しいんだろうな。
机の上では、莉奈と果奈とぬいぐるみたちが、僕と沙奈子を見守るみたいに鎮座してる。見慣れた光景なのに、時々、ふっと不思議な感じがすることもあった。そうだよな。まだこうなって一年も経ってないんだから。
土曜日。今日は千早ちゃんたちが来る予定はなかった。だから午前の勉強が終わったらすぐに、電車で絵里奈と玲那に会いに行った。
玲那の判決が確定してから二ヶ月半ほど。世間では次々と事件が起こって、あの事件のことなんてすっかり忘れられたみたいになってた気がした。だけど、今も時々、週刊誌とかが取材を申し込みに来ることがあるらしい。でもそれは、『十歳の女の子が売春を強要されてた事件』についての取材申し込みだった。中にはその事件のことを本にしないかという誘いもあったらしい。それらの対応は弁護士の佐々本さんを通してもらうことを徹底してるからそんなに困ってないものの、マスコミにとってはまだ価値のあるものだと思われてるんだなっていうのを感じさせる話だった。
それだけじゃない。玲那が以前住んでいたマンションの部屋の前に誰かがゴミとかを捨てていくこともたまにあるんだって。その所為で管理会社としては新しく入居者を入れることもできなくて困っているっていう話だった。まだそんなことをするのがいるんだと、僕は悲しくなった。
だからまだまだ油断はできないし、事件が完全の過去のものになってマスコミからも世間からも忘れられるくらいになってからでないと、やっぱり一緒に暮らすのは危険だとしみじみ思わされた。
それでも、こうやって会うだけなら、絵里奈と玲那のばっちり別人メイクの効果か、誰かに気付かれるようなことはなかった。ネット上に晒されたのが、すっぴんの写真と、中学・高校の頃の写真と、二人の大切な友達だった香保理さんに似せてメイクをしてた頃の写真だったのが幸いしたのかもしれない。はっきり言って、今のメイクはそのどれとも似てないし。
女性のメイクってすごいなあ。何てことを改めて思ったりとか…。
まあそんなこんなで、今日は清水寺の方に来てみた。このために電車に乗ったんだ。
僕も小学校の時の修学旅行以来だと思う。以前はこういう人の多いところになんて来たいとも思わなかったから、一切、足を運んだことがなかった。さすがに観光や修学旅行の定番中の定番だからか人も多いし、土曜日なのに修学旅行らしい中学・高校くらいの制服の子供らの姿も多い。沙奈子や絵里奈や玲那と一緒じゃなきゃ、今でも来たいと思わなかったろうな。
「ふわあ…」
清水寺と言えば当然、清水の舞台に上がらない訳にもいかないよねということで上がると、そこから下を見下ろした沙奈子が思わず声を上げてた。ちょっとおっかなびっくりな様子も見えて、ちゃんと情動があるんだっていうのを確かめられた。
売店のお座敷でかき氷を食べたり、写真を撮ったり、お昼は蕎麦屋さんでざるそばを食べて、またアイスを食べながらぶらぶら歩いて、たっぷりと普通の観光気分を楽しんだ。
沙奈子は絵里奈と手を繋いだり、僕と手を繋いだり、僕と絵里奈が沙奈子と玲那を挟んで四人で手を繋いだりした。大きなイベントは要らないけど、やっぱりたまにはこういうのもいいよねって素直に思えた。
三時頃になって沙奈子が少し疲れた顔をし始めたから、今日はこれで帰ることにした。それを見越してもう私鉄の駅の近くまで戻ってきてた。ここから僕と沙奈子は電車、絵里奈と玲那はバスで帰る。
先に絵里奈と玲那がバスで帰るのを見送った。バスに乗る直前、絵里奈とキスを交わす。人前でキスなんてと言う人もいるだろうけど、気にならない。僕たちにとっては大事なことだから。
二人を乗せたバスが見えなくなると、沙奈子がいよいよ疲れたような顔をしてた。あとは電車に乗るだけだから。頑張って、沙奈子。
電車に乗ると、案の定、彼女は力尽きたみたいに眠り始めた。体力的なこともそうだとしても、たぶん、人が多くて疲れるんだろうな。でも楽しそうにしてくれてたのは分かった。それはもちろん、四人が一緒だからっていうのもあるんだと思う。
アパートの最寄り駅で降りると、今日はもう、駅近くのスーパーで買い物をしていくことにした。いつもの大型スーパーより少し高いけど、僕も沙奈子も疲れてるし仕方ない。夕食もお弁当にしておく。
家に戻って腰を下ろすと、二人して床に寝転がってしまった。顔を見合わせて、思わず笑ってしまう。沙奈子の表情も、他の人には少し分かりにくくても、僕にはちゃんと笑顔に見えた。
「疲れたね~」
「うん…」
そう言葉を交わして、僕と沙奈子はしばらく横になってだらけてたのだった。




