三百六十四 「大人の過ち」
保木仁美さんとの出会いとか、星谷さんへの玲那の質問とか、今回、波多野さんのお兄さんがしてしまったことがどれだけ酷いことだったかを改めて実感させられた気がした。波多野さんがお兄さんに対して厳しいことを言わずにいられない気持ちも改めて想像させられた気もする。
玲那の事件もそうだけど、事件っていうのは起こってしまったらもう本当に無かったことにできないんだって思い知らされた。だから僕の家族からはそういうのを出したくないって。こういう事件を起こすのを出したくないって。
そのためには、守りたい家族なんだって思われるようにしていたい。事件を起こして滅茶苦茶にしても構わない家庭にはしたくない。それが結局、家庭を守ることになるんだってつくづく思った。
お父さんとお母さんがケンカしてたりお互いに相手の悪口を言い合ってたり、そんな家庭を子供たちが素直に守りたいって思ってもらえるかどうか考えたら、そんなはずないって気がするんだ。僕の両親がそうだった。兄や僕への態度もそうだけど、お互いに相手がいないところでは悪口ばかり言ってた。そんな両親を見て僕は、他人は信用できない、心を許したらダメだ、関わっちゃダメだって思うようになったんだろうなって感じてる。
結婚についてだってそうだ。あんな風になるんなら結婚なんかしたくない。結婚する奴はどうかしてる。結婚なんか意味がない、興味が無いって子供心に思ってしまったんだろうな。一番身近な実例でそういうのを見せ付けられたら、夢も希望も持てないのが当たり前なんじゃないかな。
なのに、僕は絵里奈と結婚してしまった。そうせずにいられない状況に追い込まれたからっていうのはあっても、それを後悔はしていないし、僕は絵里奈のことが女性として好きだ。愛してる。
好きとか愛してるっていう気持ちがどこまで続くかは分からない。だけど、絵里奈といがみ合ったり憎しみ合ったりなんていうのは嫌だ。僕にとっては彼女も大切な家族なんだ。
気持ちがすれ違ったりすることもあるかも知れない。ついケンカしてしまうことだってあるかも知れない。でも彼女を失うのは嫌だ。だから分かり合いたい。僕とは別の人である絵里奈のことを受け止めていたい。それができる僕でいたい。何でもかんでも自分の思い通りになってほしいと思ってしまいそうになる自分に負けたくない。自分の思い通りにならないことに苛立ってしまいそうになる自分に負けたくない。そんなことで絵里奈に辛く当たるような自分になりたくない。
僕の両親は、こんなこと考えてたのかな。考えてた気がしないな。考えてたらあんなことしてないだろうな。
壊したくない家庭があるだけでも、すごく違うような気がする。あとは自分のやったことが家庭を壊すことになるかどうかっていうのを想像できれば、よっぽどのことでも我慢できるんじゃないかって思える。
世間は罪を犯した人間に容赦ないし、その家族さえ追い詰めようとしてくる。それを僕たちは今まさに経験してる。そういうものから大切な家族を守るためには、最初から事件なんか起こさないようにしなくちゃいけないんだ。そして僕たち自身が、お互いにとってそれぞれ守りたい家族でなくちゃいけないんだ。
沙奈子を、絵里奈を、玲那を守りたいから僕は事件を起こさない。逆に、沙奈子が、絵里奈が、僕たちを守りたいから事件は起こさないって思ってもらえるようにありたい。玲那だってそう思うから二度とあんなことはしないって思ってくれてるんだ。
けれど、波多野さんのお兄さんにとって、家族はそうじゃなかった。それどころか世間を煽って追い詰めさせたいくらいの存在だった。波多野さんは家を出て、ご両親は離婚の準備に入って、一番上のお兄さんは婚約が破談になって家族とも連絡を取らなくなってしまった。それだけでももう十分に追い詰められてるはずなのに、さらにもっと追い詰めようとしてる。そんなに家族のことが憎かったんだな…。
でも、ご両親は子供からそんな風に思われるような接し方をしてきたんだとしても、波多野さんはお兄さんよりも後から生まれたんだから関係ないはずなのに、それでももうダメなんだな。
確かに、波多野さん自身もお兄さんのことは昔から好きじゃなくて、尊敬もしてなかったそうだからそういう態度しかとってこなくて、お兄さんにとっても可愛い妹じゃなかったのかもしれない。けどそれは、お兄さんが波多野さんに対して酷いことを、波多野さんが嫌がることをしてきたからだよね。そのせいで嫌われたんだよね。それを波多野さんのせいにするのはおかしいよ。
自分が相手から嫌われることをしておいて嫌うななんて、ワガママにも程がある。
だけど子供って精神的に未熟だからそういう風にしてしまうこともあると思う。その時に、大人がちゃんと『そうじゃない』って教えてあげられてたらって今なら思うんだ。波多野さんに対して酷いことをしたお兄さんにちゃんと、『それは良くないことだよ』って分からせてあげられてたら、お兄さんだって波多野さんからそこまで嫌われずに済んだんじゃないかって気がするんだ。
ただの悪ふざけとか兄妹喧嘩で放っておかないで、そこで何があったのかをきちんと大人の目で見極めて、良くない点を諭してあげるべきだったんじゃないかって気がするんだ。
子供は未熟だから問題を上手に解決できなくて当たり前のはずなんだ。そういう時に、『こんな時にはこうすればいいんだよ』って大人が知恵を示して、子供はそれで学んでいくんだと今は思うんだ。だから僕は、絵里奈との間に子供が生まれたらそうしたいと思う。
以前は具体的にどうすればいいっていうのさえ何も思い付かなかったから自分が子供を育てるなんてありえないって思ってた。僕にそんなことができるはずないって思ってた。でも、沙奈子とも一緒に暮らしてみて、いろんな人と出会って、いろんなことを見てきて、いろんなことを教わって、僕なりにこうすればいいんじゃないかっていうのができた気がする。それを基にして子供と接することができるようになった気がする。
それが正しいかどうかはやってみなくちゃ分からないとしても、やってみて具合が悪かったらその度に『ごめんなさい』って言って改めていけばいいんじゃないかな。それが成長するってことなんじゃないかな。自分のやり方が上手くいってないのにそれを見て見ぬふりして続けるのは、ただ自分が甘えたいだけなんだと思う。自分が間違ってるというのを認めたくないだけなんだと思う。そしてそれを改めなかった結果を、僕たちは目の当たりにしてるってことなんだろうな。
それは本当に怖いことだと、僕は思ったのだった。




