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僕に突然扶養家族ができた訳  作者: 太凡洋人
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三百六十一 「それぞれの正解」

レイプされて妊娠した子を『宝物』と言える保木やすきさんに、自分はまだまだだなって僕は思ってしまった。自身が障害を持っていること、自らの身に降りかかったこと、そういう全てを受け入れてこの人は生きてるんだなって思った。


「思いがけない出会いだったが、話ができて良かった。私も嬉しかった…。もし、裁判での証言を感謝してくれてるんだとしたら、今回、私の話を聞いてくれたことでチャラってことでいいと思う…」


喫茶店を出る時、保木さんはそう言ってきた。それでも僕たちにとってはまだ足りないっていうのが正直な気分だったけど、保木さんがそう言うのならあまりしつこくするのはかえって迷惑だと思った。


別れ際に、メッセージアプリのアカウントだけじゃなくて電話番号も交換して、でもお互いにあまり干渉しないっていうことを取り決めて別れた。決して器用じゃないけど、気持ちのいい人だと感じた。


「おねえちゃん、バイバイ」


そう言って手を振ってくれる清香きよかちゃんに、沙奈子も「バイバイ」って手を振っていた。


「すごい人がいますね…」


バス停に向かって歩いてると、絵里奈がそう呟くように言った。


「そうだね…」


僕はそう応えるしかできなかった。


確かに、売春グループに自分から加わるようなことをしたのは褒められることじゃないと思う。だけど保木さんが背負ってるものは、それよりずっと大きなものだったって気もする。


保木さんのご両親も、自分の子供が抱えてる障害を知ろうともせずに責め立ててしまったのか…。確かに、分かりにくい障害だとは思う。独特の間を置いてる以外では割と普通にしゃべれてるって言ってもいいかも知れないから、まさかと思ってしまったのかもしれない。それは分かるけど、自分の子供がわざとぶっきらぼうなしゃべり方をしているのか、それとも本人は丁寧にしゃべろうとしてるつもりだけどそうなってしまうのかっていうのも見分けられなかったんだろうかって思ってしまった。


わざとじゃない。悪気があってやってるんじゃないのにそれを親に信じてもらえないっていうのは辛いよね。


僕も、沙奈子が普通に愛想よくできないことについて時々気になることはある。これで大丈夫なのかなって思ってしまうことはある。だけど、この子がわざとそうしてる、悪気があって不愛想な態度を取ってるわけじゃないっていうのは分かるから、それに対して煩く言わないようにしてるんだ。特にこの子の場合は、一時とは言え普通に明るい様子も見せられてたんだから、今、それができないのにはそれだけの理由があるっていうのも分かるんだ。沙奈子の中にある、この子の表情とかを押さえつけてしまってる重しか何かが取れるには時間が掛かると分かってるから、ゆっくりそれを待とうと思ってるだけなんだ。


ここで僕が『愛想良くしろ』って怒鳴っても、きっと逆効果にしかならない。わざと不愛想にしてるわけじゃないのに強要したっていい結果が得られるとは到底思えない。もし強引に明るいふりをさせたところで、それはこの子の本当の姿じゃないんだから。他人にとって都合のいい仮面を無理矢理被らせてこの子に嘘を吐かせて、それが沙奈子のためになるとは思えないんだ。


今、僕たちにできることは、この子がいつか自分の感情とかを押さえつけてしまってるいろいろと折り合いを付けられるようになる日が来るのを信じて待つことだと思う。


それに僕たちには分かってる。この子にはちゃんと感情も表情もあるって。それがちょっとばかり他人からは分かりづらいだけなんだって。


保木さんのご両親がそういう風に思えてたら、結果は違っていたのかもしれないな…。


だけど僕がそういう風に思えるようになったのは周りの人のおかげなんだ。僕一人の努力とか思い付きじゃない。だからそれを感謝したい。その中には、絵里奈も玲那もいるんだ。そして沙奈子自身も。


保木さんと出会えたことがどういう影響を与えることになるのかまだ分からない。ただ、保木さんがそういう風になれたんだとしたら、波多野さんだって田上たのうえさんだってそうなれる可能性はあるんだから、僕はそれを信じて支えたいと改めて思った。


なれるかなれないかも、もちろん僕には分からない。でもなれる可能性があることはこの出会いで感じられた。いつかそうなれることを信じられるだけの根拠はもらえたと思う。


だから波多野さん自身や田上さん自身よりも先に僕が諦めて見限ってしまうことはしないでおこう。そう思える。


それと同時に、そうなることを押し付けないでおこうとも思った。保木さんは保木さん、波多野さんたちは波多野さんたちだからね。受け止められるようになると言っても、また違う形かもしれないし。保木さんみたいになれることが唯一の正解だとは限らないし。


帰りのバスの中、沙奈子はまた眠ってた。この子が安心して眠ってもらえることが、僕にとっての秘かな自慢だった。




日曜日の朝、沙奈子の様子がいつもと少し違ってた。顔が赤い気がした。熱があるのかなと思ったけどそうじゃなかった。起き上がった沙奈子はゴミ箱の傍までいって恥ずかしそうにおむつを脱いでそれをゴミ箱にギュッと押し込んでた。


…え?。おねしょ…?。


おねしょだった。本当に久しぶりのおねしょだった。どうしてこのタイミングでと思ってたら、おねしょしたのはこの日だけだった。どうやら以前みたいに幸せ過ぎておねしょしてしまったんじゃなくて、その前の日に見た人形が怖くてそれでおねしょしてしまったらしかった。


「怖い夢を見たと思う…」


内容は覚えてなかったらしいけど、何かすごく怖くておしっこを漏らしてしまった夢を見た気がするというようなことを言っていた。確かにあの人形は大人の僕が見ても怖かった。下手なお化け屋敷よりも怖い気がする。僕も子供の頃に見てたらおねしょしてしまってたかも知れないな。それくらいのインパクトはあった。


ただその後に出会えた保木さんの印象の方が強くて、正直、かなり和らげられてたかもね。


その時ふと、保木さんの娘さんの清香きよかちゃんは大丈夫だったんだろうかと思ってしまった。でも清香ちゃんも人形は見てたはずだけどその時の様子を見る限りではそんなに怖がってる感じでもなかった気がする。もしかしたら、実際にああいう目を見たことがなかったからピンとこなかったのかな。だって保木さんが清香ちゃんに向ける目は、とても優しい感じだったから。はっきりと分かりやすく笑ってるわけじゃなくても、確かに優しい感じだった。


あの目を怖いと感じてしまうのは、それが怖い目だっていうのを知ってるからかもしれない。でもそういうことだとしたら、沙奈子はやっぱりあの目を知ってるってことなんだろうな。


だから僕は、少なくとも僕の前ではそういう目を見なくて済むようにしてあげたいと思ったのだった。



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