三百五十八 「ナス味噌炒め」
土曜日。今日は、千早ちゃんたちがナス味噌炒めというのを作りに来るらしい。どういうものかはよく知らないけど、千早ちゃんのお姉さんのリクエストなんだって。
『千早がナス味噌炒めというのを作りたいと言ってますが、ご存知ですか?』
金曜日に行った時に星谷さんが絵里奈にそんな風に聞いてきた。
『ナス味噌炒めですか?。甘辛い感じのでしたら私もよく作りますけど、結構、人によって味付けが違うんですよね。基本的な作り方は教えますから、味は好みによって甘めにしたり辛めにしたりしていけばいいと思います』
ということで今日のメニューはナス味噌炒めということで。でも、沙奈子は平気だけど子供ってナスとか苦手っていうイメージあったんだけど大丈夫なのかな。
そんな心配もありつつも、いつもの感じで料理が始まった。
「千早ちゃん、表情がなんか柔らかくなりましたよね」
三人の様子を見ていた僕が何気なくそう言うと、星谷さんも応えてくれた。
「やっぱりそう思いますか?。それは恐らく、『お姉さんやお母さんに負けない強い自分』を演出する必要がなくなったからだと思います。彼女がそうやって自分を鼓舞していることは私も感じていました。ですが彼女がそれを必要としてるのでしたら私からは何もできません。支えるだけです。千早は自分の力で成長したんだと思います」
星谷さんはそう言うけど、千早ちゃんにとっては間違いなく重要な存在だったし星谷さんはたくさんのことをやってきたと思う。だから『何もできません』というのは、謙遜と言うか、『私がこうしてやったんだから恩に着ろ』ってならないようにするためのものなんだろうなとも思った。それは僕も同じだ。沙奈子に恩を着せたいとは思わない。だから僕がこうしてやったんだって思わないようにしてるんだ。
千早ちゃんの言葉遣いが砕けた感じになってきてるけどそれを不快に感じないのは、やっぱり表情が柔らかいからだろうな。攻撃的な感じがしないんだ。言葉そのものはぶっきらぼうでも、話し方にもトゲがない。
一番の変化は、沙奈子のことを『沙奈ちゃん』と呼んでたのが『沙奈』って呼び捨てになったことだと思う。だけどイントネーションが、『さなぁ~』とか『さぁなぁ』って感じの猫撫で声と言うか甘える風だから、ああ、沙奈子のことが好きなんだなっていうのがすごく伝わってくるんだ。
逆に、今の千早ちゃんの姿と比較して気付いた。『沙奈ちゃん』って呼んでた頃の方がどこか遠慮があった気がするってことに。親しみを表したいんだけど距離があったというか。
その一方で、大希くんのことは、『ヒロ』って普通に呼んでる。甘えてる感じだったり猫撫で声だったりはしない。沙奈子には甘えたいけど、大希くんとは対等な立場ってことなのかな。
そういうのはたぶん、何気なく見てたらただ仲良くなったんだなで済ませてしまう些細な変化なんだろうなって気もする。ちゃんと見てないと、千早ちゃん自身が成長したからそうなったんだっていうのを見逃してしまいそうな気がする。壁を乗り越えて今までより近付けたからこそ甘えられるのかも。
となると、次はやっぱり波多野さんが心配かな。田上さんのことも同時に見ていかないといけない気もするけど、状況的には波多野さんの方が大変だろうし。
ホントに、自分がこんなに他人のことを気にするようになるなんて一年前では考えられなかった。しかもそのどれもこれもが、結局は『沙奈子のため』なんだよね。沙奈子を守るためには彼女だけを見てればいいわけじゃないってことなんだ。この子を守るためにみんなを守るってことなんだな。だから自分の家族以外は知ったことじゃないって言って本当に他人を蔑ろにするのは、実は家族のことも守れなくするってことだって感じる。
僕にとっては自分の家族が一番大切なのは間違いない。他人の家族を全て守れるだけの力なんて僕にはない。だから取捨選択を迫られたら僕は自分の家族を取る。綺麗事じゃなくそうする。だけど同時に、自分にそれだけの余力があるのなら、自分の手が届くのなら、僕にできる範囲で守りたい。助けたい。波多野さんのことも、田上さんのことも。
そうやってみんながちょっとずつ助け合うことができればうまく回ることはすごく多いんじゃないかな。それが千手観音の手になるんじゃないかな。
またこうやって自分に言い聞かせる。こうやって僕は僕であることを確認する。波多野さんや田上さんのことを僕には関係ないと切り捨てるのは沙奈子のためにならないっていうのを確認する。
こんな風に考える材料を与えてくれた千早ちゃんや星谷さんに対して感謝したいって気持ちが生まれる。それがまた僕にとっての気持ちの余裕に繋がって、幸せを感じる余裕になっていく。人を大切にするっていうのは、そういうことなんだなって実感がある。人を大切にできないのは、自分を大切にできないのと同じなんだって分かる気がする。
むず痒いし照れ臭いし面映ゆいけど、やっぱりそういうことなんだろうな。
こういうことが、沙奈子や玲那にも伝わってくれてたらいいな。ああでも、沙奈子や玲那がそう感じてるのを僕が感じてるだけなのかもしれないんだよなあ。
その玲那は、今日も忙しそうに作業してた。品物が順調に売れてるからだ。中には対応できないことを要求してくる困ったお客さんもいたりするらしいけど、それはどんな仕事でも出てくる問題だろうから、あまり気にし過ぎないようにして、とにかく自分にできることを確実にこなしていこうって僕たちはそう決めてるんだ。ストレスはお互いに解消し合っていけばいい。今の僕の家族はそれができる家族だから。それができる者同士で集まったんだから。
僕がそんなことを考えてるうちにもナス味噌炒めは完成して、みんなで食べた。
「うお~!、こりゃご飯ススムわ~!」
千早ちゃんがそんなことを言いながらすごい勢いで食べてた。確かに美味しかった。ちょうどいい甘辛さで、千早ちゃんの言う通りだと思った。沙奈子も集中して食べてた。美味しいものを食べた時の食べ方だった。大希くんも「ウマウマ」と言いながら食べてた。ナスが使われてたから子供たちにはどうかなって思ったりもしたのも杞憂で済んで良かった。
だけど後で星谷さんから、
『千早、本当はナスはあまり好きじゃなかったんですよ。でもあのナス味噌炒めは彼女の認識を改めさせる力があったみたいですね。自分で作ったからというのもあったんだと思います』
って聞いたりもしたけどね。そうなんだ。そんな風にしてちょっとずつ苦手だったものが平気になっていったりすることもあるんだろうなって、僕は改めて感じてたのだった。




