三百五十七 「憤り」
家族同士で何でも話し合えればいいって思ってたけど、玲那の突然の告白に、家族でもやっぱり簡単には口に出せないこともあるんだって、家族だからこそ気軽に言えないこともあるんだっていうのを改めて気付かされた気がした。そうだよね。そういうこともあるよね。
絵里奈とはすぐに二人きりになれるしそれなりに長い付き合いだから割と早いうちに話せても、さすがにこの内容は沙奈子の前だと気軽にはできないっていうのは僕にも分かった。それに、絵里奈の前で僕に打ち明けるっていうのも何となく気が引けてたのかもしれない。
そんな中で思いがけず二人きりになったことで、この唐突な告白になってしまったんだな。
こんな形でそんな大事な話を聞かされるのは僕も戸惑ってしまうけど、変なタイミングになってしまっても打ち明けてくれたことは良かったと思いたい。『なんでこんな時にそんなこと言うんだよ!』みたいなことを口走らなかった自分を褒めたいくらいだった。
そうだよ。自分の思い通りにならないからって腹を立てて怒鳴ったりしないって僕は決めてたじゃないか。その通りにできたんだからこれでいいんだよ。
沙奈子と絵里奈がトイレから戻ってくると、玲那はいつも通りの表情に戻ってまた作業してた。むしろ言いたかったことが言えてすっきりした感じにも見えた気がする。だから僕の方としてもその話についてはこれ以上、口に出さなくてもいいかと思った。
さすがに気にはなってる。あの来支間さんのお父さんが玲那のお客さんだったなんて……。
正直、親子そろって玲那や沙奈子を苦しめたんだと思うと体の奥の方からぐつぐつとしたものが湧き上がってくる気もしてしまう。ただ同時に、それを蒸し返して何か意味があるんだろうかとも思ってしまうんだ。向こうが蒸し返してくるんなら対応しなくちゃいけないにしても、せっかく落ち着いてるのにわざわざ波風立てて今の幸せを壊したくはなかった。
それに、来支間さん自身の方は沙奈子の件で訓告だか何だかの懲戒を受けたとも聞いた。公務員にとってはそういうのは今後に大きく影響するっていう話も聞く。来支間さんは割と自分の立てた計画通りに人生を送りたいタイプっていう気がするから、それだけでもかなりの軌道修正を強いられたんじゃないかな。それで考えたら実は結構な罰になってる気もするんだ。
来支間さんのお父さんの件については、冷静に考えると玲那の『本人かと思うくらい似てる』という証言しかないし、それが本当に来支間さんのお父さんだっていう証拠は何もない。あの時の玲那の様子から見てフラッシュバックを起こしてたんだと思うから、そんな風になってしまうほど似てた、もしくは印象が近かったというのは事実なんだと思う。『本人かと思うくらい似てる』と感じたあの子のことを疑うつもりもない。あくまでそう感じただけなんだろうから。
だけどそれを根拠に、例えば来支間さんに『あなたのお父さんに彼女はこんな事されました』と言いに行ったとしてもしそれが他人の空似だったりしたら、それこそ大変なことになってしまう予感しかない。そんなのは困る。確実な証拠がないうちから騒ぐのはむしろ悪手だと思う。それに、玲那がされたことを事件化しようにもとっくに時効になってるっていうのは星谷さんにも確認してもらったことだ。
確かに、刑事責任は問えなくても来支間さんのお父さんが昔そういうことをしてたっていうのが事実でそれが明るみに出るだけでも相当なダメージを与えられそうな気もする。でも……。
でも、それをして何になるって言うんだ?。それで来支間さんの家庭が滅茶苦茶になって僕は嬉しいのか?。玲那の気が晴れるのか?。沙奈子や絵里奈が幸せになれるのか?。
とてもそうは思えない。来支間さんの家庭を崩壊させてスカッとする未来が全く見えない。それどころか名誉棄損とかで逆に訴えられて泥沼の裁判を続けることになる気しかしない。そこまでして得られるものってなんだ?。僕たちはそれに価値を見出せるのか?。
たぶん無理だ。来支間さんの家族がバラバラになるところをこうやって想像するだけでもただゲンナリするだけで『ザマーミロ』っていう気分にさえなれない。玲那の事件の時の僕たちや今の波多野さんのことが頭に浮かぶだけだ。それなのにこっちが受けるダメージが大きすぎる。せっかく手に入れたささやかな日常が壊れてしまう結末しか思い浮かばない。それを代償に払ってでも晴らしたいほどの恨みでもない。何より、玲那本人がそんなことを望んでるようには到底思えない。あの子はただそっとしておいてほしいだけなんだ。自分の過去を受け入れてはいるけど、それを他人にかき回されたいとは思ってない。
だから僕はもう、この件には触れないでおこうと思う。また同じようなことを玲那が打ち明けてきても、あの子が『だからこうしたい』っていうのを言ってこない限りは話を聞いてあげるだけにしようと思う。玲那自身も、それで十分って思ってるんじゃないかな。そんな過去があっても自分のことを受け止めてくるっていうのを確認したいだけなんじゃないかな。ちゃんとあの子の顔を見て、目を見て、何を望んでるのかを感じ取ってあげたい。
玲那の事件の時の僕たちや、波多野さんの家庭のことがなかったら、もしかしたら僕も一度は割り切ったはずの来支間さんへ仕返しを考えてしまってたかもしれない。『加害者の家族』がどんな目に遭うのかっていうのをこうやって肌で感じてなかったら、『滅茶苦茶になればいい!』って思ってしまってたかもしれない。そういう意味では、あの経験も無駄じゃなかったんだなって思える。
来支間さんも、訓告という懲罰としては決して重いという印象のないものであっても、実際に懲戒を受けたことで公務員としては少なくないダメージを受けただろうから、それで罰は受けてるんじゃないかなって思ってる。来支間さんのお父さんかもしれないという、玲那のお客さんだったという人については、今は何の証拠もないからどうすることもできないし、それを来支間さんへの仕返しに利用するのも何か違うとしか思えない。
もちろん、来支間さんや玲那のお客さんだったという人に対しては憤りもある。だけど、それが今の幸せを台無しにするほどのものかと言えば、決してそうじゃないんだ。少なくとも僕にとっては。
沙奈子や玲那にとっても、僕に甘えて慰めてもらえればそれで収まる程度のことだったら、僕はそれを惜しまない。目いっぱい甘えてもらって慰めてあげたい。それで済むんなら、それでいいじゃないか。わざわざ自分で古傷に手を突っ込んで広げる必要もない。そんなことよりも大事なものが僕たちにはあるんだから。




