三百五十六 「突然の告白」
沙奈子のキスを絵里奈と玲那がもらえないというのは僕たちにとっては望ましい状況じゃないのも分かってる。だけどそれを気にし過ぎてストレスに感じるのも違うと思う。それにこの状況はいつまでも続くわけじゃない、いつかは終わることなんだ。僕たちはその時が来るまで穏やかな気持ちで待てばいい。
木曜日金曜日とやっぱり何事もなく過ぎていく。ただ、さすがに暑くなってきた。今はまだ扇風機で持ち堪えられてるけど、そう遠くないうちにエアコンを使うことになりそうだ。お風呂を沸かすのに時間が掛からなくなった分だけガス代は減ってきてるものの、今度は電気代が増えるな。
ただ、僕が迎えに行くまで沙奈子は山仁さんのところで待っててくれてるから、去年みたいにエアコンをつけっぱなしということはないと思う。山仁さんのところは元々子供たちがいるから無理せずにエアコンを使ってるそうだし、そこに沙奈子がいても別にそれで電気代が増えるというわけじゃないから気持ちの上で楽だった。
それに、三人で宿題を終えてから、千早ちゃんと大希くんが部屋の掃除とかするのを沙奈子も手伝ってるんだって。沙奈子にとって山仁さんの家は友達の家という感覚だろうから実際には掃除という名のごっこ遊びかも知れなくても、多少はそれがお返しになってくれてる気もする。
夕方、僕が帰ってくる少し前に星谷さんたちが山仁さんの家に集合すると、星谷さんが、千早ちゃんと大希くんに手伝ってもらって夕食の用意を始めるんだって言ってた。自分は自宅に帰ってから食べるそうだけど、大希くんとイチコさんと山仁さんと波多野さんのための夕食だった。同時に、波多野さんがお風呂掃除をして、イチコさんは洗濯ものをといれたりするそうだ。その間、沙奈子との田上さんはテーブルを拭いたりとかのこまごまとした雑用って感じなのかな。
それが一段落する頃に山仁さんが起きてきてみんなに『ありがとう』って声を掛けて、山仁さん、イチコさん、星谷さん、波多野さん、田上さんは二階に、大希くん、千早ちゃん、沙奈子は一階でアニメを見たりとか遊んだりとか。
そこに僕が沙奈子を迎えに来て、『おかえりなさいのぎゅー』してもらって、二階でみんなの顔を見て、特に今は特に波多野さんと田上さんの様子を注意深く見て、話しをして帰るんだ。
本当に、誰かに任せきりにするんじゃなくて、みんなで生活を成り立たせてるんだっていうのを感じる。みんなが協力し合わないとこの生活は守れないんだっていうのを理解してるんだろうな。しかも、義務感でやるんじゃなくてそれぞれワイワイ楽しみながらやってるんだって。僕の家と同じだ。家事そのものが家族のコミュニケーションも兼ねてるんだ。そうやってお互いの顔を見て、言葉を交わして、その時の気持ちとかを何気ない形で口にして、確認しあってるんだ。それができる者同士で集まってるんだな。
こういう風にできない人は、ここに加わることはできないんだと思う。そういう人はこの感じは合わないんだと思う。僕も、沙奈子と絵里奈と玲那とでなくちゃできない気がする。逆に言えば、それができるから家族になれたんだ。そういう相手を見付けるのが、他人が家族になるっていうことなのかもしれない。どっちかだけに一方的に依存するんじゃなくて、一緒に生活を作っていくんだ。それができない相手との生活は大変そうだなって思ってしまった。
こういう風にできない人はできない人なりのやり方を見付けていくんだろうけど、僕にはあまりピンとこなかった。絵里奈が一人で家事をして、僕はただテレビを見てて、沙奈子と玲那は漫画とかゲームとかっていう光景が思い浮かばない。することがない時は話をするとか、それもできない時には沙奈子の様子を見てる感じかなあ。とにかく誰とも話もしないでこの子のことも膝に座らせないで一人で何かをしてるっていうのがピンとこないんだ。沙奈子のことも絵里奈のことも玲那のことも大好きだから。
そういうことができる者同士で集まれたことが奇跡なのかもしれないな。
今日も、波多野さんも田上さんも落ち着いてる感じだった。それが僕にとってもホッとできることだった。この小さな優しい世界を守るために僕も協力していきたいから。
家に帰って沙奈子と一緒に夕食を作って食べてそれからお風呂に入ってとろけたお餅になって、扇風機に当たりながら寛いだ。
今週も沙奈子の品物はまずまず順調に売れてたらしい。でもさすがに絵里奈の品物は数も売り上げも段違いで、貫禄の数字らしいけど。さすがはベテランということかなあ。
ああでもそれは、沙奈子を働かせてることにならないように抑えてるっていうのもあるのか。今はあくまで服作りの練習だもんな。
なんてことを思ってたその時、沙奈子と絵里奈が同時にトイレに行くために席を外した。一時的だけど玲那と二人きりになった。すると玲那が不意に、
『お父さん、ちょっと話があるんだけど…』
とメッセージを送ってきた。
何となく改まったような顔をしてたから、僕も姿勢を正して「なに?」って応えた。そんな僕に届けられたメッセージは、全く予想外のものだった。
『実は、来支間さんのことなんだ』
「…え?」
一瞬、何を言われたのか分からなかった。ぜんぜん想像もしてなかった名前が出てきて頭に入ってこなかったんだ。少ししてやっと理解できて、
「来支間さんがどうかした…?」
って聞き返してしまった。玲那の顔が少し辛そうに見えた。だけど、滅多にない二人っきりのこのチャンスを逃したくなかったのか、彼女は思い切ったようにメッセージを送ってきた。
『来支間さんのお父さんが、私のお客の一人だったんだと思う…』
…はい?、え?、お客さん…?。客さんって、まさか…?。いきなりの話に混乱する僕に、玲那は躊躇うことなく続けた。
『私がお客さんを取らされてた時のお客さんの一人だと思う。
だって、びっくりするくらいそっくりだったから。
最初、本人かと思っちゃった』
なるほどこれは沙奈子の前ではできない話だと思った。
『絵里奈にはもう話したんだけど、お父さんにも聞いておいてもらいたいと思ってさ。
でもちょっとなかなか言い出せなくて、今になっちゃった。ごめん』
脈絡のない突然の告白に、頭が追い付かない。ただ、玲那の方は以前から打ち明ける覚悟はしてて、後はそれを実行するだけだったらしい。そんな中で、偶然、完全に二人きりになったから思い切れたってことだった。
だけどそのおかげで、あの日、嘘の通報を真に受けてここに来た来支間さんを見た玲那の様子がひどくおかしかった理由が、やっと腑に落ちた。どことなく頭の片隅にずっと引っかかってたんだけど聞くに聞けなかった疑問が、ようやく氷解したのだった。




