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僕に突然扶養家族ができた訳  作者: 太凡洋人
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三百五十五 「何もない中でのあれこれ」

月曜日の朝。いつも通りに目が覚める。沙奈子のおねしょはもうずっと止まったままだ。だけど一応、念の為におむつは穿いてもらってる。おむつを穿くことについては恥ずかしくないらしい。それより布団を汚してしまうことの方が沙奈子にとっては嫌なんだろうな。


「おはよう」


「おはよう」


お互いに顔を見合わせながら挨拶を交わした。今日もこの子の顔を見て一日を始める。この子が何を感じて、考えてるかを感じ取ろうと思う。だから、他人には分かりにくい、微妙な表情の違いが分かるんだって気がしてる。この子は今、僕の顔を見て微笑んでくれてる。


うん、今日も沙奈子は落ち着いてるな。体調も良さそうだ。


こういうことを、波多野さんのご両親はしてたんだろうか。少なくとも僕の両親はしていなかった。僕のことだけじゃなくて、兄のことも見てなかったのが今なら分かる。褒めてたり甘い言葉は掛けてるけど、兄の目は見てなかった。それどころか顔すら見てなかった。両親の頭の中にある、自分たちの思う理想の子供に声を掛けてただけなんじゃないかな。そしてそれは、本当は兄じゃなかった。もちろん僕でもない。あの人たちの頭の中だけにいる幻の子供。


不幸だな。誰も幸せになれないやり方だった。両親にとっては頭の中の理想と現実がどんどんかけ離れていくし、兄や僕にとっては両親の存在が疎ましくなっていく。そんなのでどうやって幸せを掴めばいいんだ?。


少しずつ目立たなくはなっていってると思うけど、沙奈子の左腕に残る傷を見て、僕はこの子の中にある激しい闇も含めてちゃんと受け止めていきたいと改めて思った。僕にとって都合の悪い、できれば見たくない部分についても受けとめていきたいと思ってる。僕の両親や波多野さんのご両親はそれができなかったんだろうか。


自分が見たいところだけを見て、見たくない部分には目を瞑って、逃げてきたんだろうか。そのツケが、親の葬式にも現れずに自分の娘を捨てて行方をくらます奴や、女性に乱暴してその上さらに貶めようとする事件の容疑者になってしまったっていうことなんだろうか。そんな風に言われても納得できてしまう。


うん。いくら他人から見て体裁よく繕えてても、中身が伴ってないと結局はどこかで破綻するってことなんだろうな。悲しいよ。あの人たちだって、不幸になりたくてやってたはずじゃないのに……。


僕の両親はもうどうすることもできないけど、正直言って波多野さんのご両親には今からでも気付いてほしいって思う。でも、やっぱり手遅れなのかな……。


だけど、まずは波多野さんを守らなきゃいけないのか。全員を助けようとして結局誰もってなったら意味ないもんな。それに、僕にできることじゃないし。


そんなことを考えながら沙奈子と一緒に朝食の用意をして、一週間が始まったのだった。




月曜日火曜日は何事もなく過ぎて、でも火曜日の夜から結構強い雨になって、水曜日の朝にもそれは続いてて、何となく憂鬱な気分になったりもした。雨音は嫌いじゃないけど、朝から強い雨が降ってると、つい、沙奈子が怪我をしたあの日のことを思い出してしまうから。それに火曜日の夜に九州の方で結構大きな地震があったらしいっていうのも合わせて、僕は不安になってた。


だけど、そういうのを不穏な前兆と感じてしまうのは人間の勝手な思い込みだってことも分かってる。雨がすごくて通勤のバスの中がムシムシして不快だっただけで、僕の周りでは別に何も起こらなかった。そうだよ。人生ってのは毎日ドラマチックな何かが起こるわけじゃない。むしろ何でもない、何も起こらないことがほとんどのはずなんだ。それを退屈と捉えるか平穏と捉えるかは人それぞれなんだろう。僕たちはそれを平穏と捉える。イベントは要らない。沙奈子のこと、玲那のこと、波多野さんのこと。もうお腹いっぱいだ。地震で大きな被害が出てなければいいなと僕は願ってた。


改めて防災の備えについてチェックした。非常用持ち出し袋は、今は二つになってる。中身も充実してきてる。それが無駄になることを祈りつつ、きちんとしたいと改めて思った。


ところで今年はやけに雨が少ない気がする。水不足とかの心配もいるのかな。そういうのは僕にはそれこそどうしようもないけど、節水は心掛けた方がいいかなと思ったりもした。まあ、普段から無駄遣いはしてないつもりだけど。生活費も切り詰めないといけないし。


何てこともありつつも、基本的には大きな問題はなかった。千早ちはやちゃんや波多野さんや田上たのうえさんの様子にも特に変化はなかった気がする。いや、千早ちゃんについてはむしろいい感じに変わってるって言った方がいいのかな。明るくてにこやかな中にも、どこか落ち着きと言うか余裕みたいなものが感じられるって言うか。


星谷ひかりたにさんの前では以前からそうだったのかもしれなかったのが、僕たちの前でも強がらなくてよくなったのが余裕になってる感じなのかも。


その分、言葉遣いは砕けてきてるかな。でもそれも、信頼してる家族の前でなら当然なのか。あと、波多野さんや田上さんに対しても、よく抱き付いたりしてるらしい。それが、波多野さんや田上さんにとっても癒しになってるらしかった。可愛い妹として。


『私も千早ちゃんに負けてられないな』


波多野さんは、最近、そういうこともよく口にするようになった。千早ちゃんの明るさが、空元気とか無理をしてるとかじゃなくて余裕のあるそれに変わってきてるのを彼女も感じてるみたいだ。だからこそ負けてられないってことなんだろうな。


ところで沙奈子はって言うと、実はみんなに対してはそこまでじゃなかった。この子にとっての家族は僕と絵里奈と玲那であって、波多野さんたちについては仲のいい友達の家族っていう距離感だっていうのが僕にも分かった。でもそれでいいんじゃないかな。千早ちゃんや波多野さん、田上さんにとっては山仁やまひとさんのところでの集まりが家族である必要があるとしても、沙奈子には僕と絵里奈と玲那がいるから。


そうだよな。世界中の皆が家族とか、さすがにそこまで行ってしまうと実感ないし。今の感じで上手くいってるんだから、それでいいと思う。


それにこの子の、安心しきったとろけたお餅みたいな姿を見られるのは僕たちだけだというのも、実は気分が良かったりする。千早ちゃんや大希くんにさえ見せないこの子の姿を僕たちは知ってるんだ。


いつも通りに一緒に布団に横になって、『おやすみなさいのキス』をもらうと、余計にそれを実感する。そうだよ。この子がこうやってキスしてくれるのは僕と絵里奈と玲那だけなんだ。しかも今は絵里奈と玲那は離れて暮らしてるから、実質、『おやすみなさいのキス』をもらえるのは僕だけなんだよな。


それを思うと、なんだか頬が緩んできてしまうのだった。



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