三百五十三 香苗編 「波多野家の現状」
日曜日は結局、千早ちゃんと星谷さんの誕生日パーティーで盛り上がったから、父の日としてては特に何もしなかった。沙奈子と玲那に、
『お父さん、ありがとう』
って言ってもらっただけだったけど、僕にとってはそれで十分だった。
実は山仁さんの家でも、イチコさんや大希くんにこれといって何かしてもらうということはないらしい。
『私は、子供たちに救われてるんです。感謝するべきは私の方であって、感謝してもらおうとは思ってません』
とも言ってた。それは僕が感じてるものと同じだと思った。僕も沙奈子や玲那に救われてるんだから、何か感謝してもらいたいとか思ってないんだ。それに普段から『ありがとう』とか『大好き』とか『愛してる』とか言ってもらってるし、僕のことを大切に想ってくれてるのが実感できてるから、日を決めて改めてどうこうっていうのでもないんだよね。
そんなことよりも僕が今気がかりなのは、波多野さんと田上さんのことかな。特に波多野さんは、お兄さんの裁判が始まったこともあり、それがニュースになってまた嫌がらせとかが増えたということだった。星谷さんが手配した弁護士さんも頑張ってくれてるけど、それでもすべてを防ぐことはできないし。
波多野さん自身は山仁さんの家に避難してるから直接の被害を受けることはないにしても、波多野さんの家庭そのものはもう修復不可能な状態だというのが正直なところらしい。ご両親の離婚の手続きも始まってしまったとも言ってた。
『正直、どーでもいいよもう。あんな人たちに未練はないね』
そう吐き捨てるように言った波多野さんの目は、だけど言葉で言ってるほど割り切れてるようには僕には見えなかった気がした。そんな風に切り捨てた感じで偽悪的に振る舞うことで、何とかバランスを保とうとしてる風にも見えた気がしたんだ。
千早ちゃんの家庭はある程度は安定してきたらしいし、やっぱり今一番気になるのは波多野さんのことかな。
僕たちの家庭については、十分に安定してるって感じてる。沙奈子の様子も落ち着いてるし、絵里奈や玲那もそうだ。特に玲那はたっぷり僕に甘えられたことが嬉しかったらしくて上機嫌だった。今も時々、マスコミが取材に来たりするらしいけど、それはすべて佐々本さんを通してもらってて、上手く機能してるって。
だけどそういうのも、結局は玲那が潔く自分の罪を認めて裁判をスムーズに終わらせたからっていうのもありそうな気がする。そのおかげで無駄に敵を増やさずに済んで、面倒を小さくすることになったんじゃないかな。それに比べて波多野さんのお兄さんは、世間に対してもケンカを売った形になったのかも知れない。わざわざ自分で火に油を注いで、自分の家族までどんどん苦しめることに……。
って、そうか…、もしかしたらそれこそがお兄さんの狙いなのかな?。自分だけじゃなく家族を苦しめるのが目的で、わざと嫌われる、他人の感情を逆撫ですることを繰り返してるのかな。だとしたら、お兄さんの狙いは大成功ってことなのかも。世間はまんまとお兄さんの思惑に乗せられて、波多野さんたちを攻撃してるのかも知れないって思ってしまった。
お兄さんは、ご両親を恨んでるのかも知れない。だから自分と一緒に共倒れになることを望んでるのかも知れない。家族をそんな風に思ったら、いくら迷惑かけても平気だよね。凶悪な犯罪を起こす人の考え方がまた少し分かってしまった気がした。以前からそんな気はしてたけど、より一層、実感できてしまった気がする。家族を守る気なんてないんだ。それどころか、自分が世間から攻撃されるようなことをすることで、家族も道連れにしようとしてるんじゃないかってやっぱり思ってしまうんだ。
子供にそんな風に思われる親か……。
哀しいよ。沙奈子にそんな風に思われることを想像するだけで胸が痛い。泣けてくる。そんなのは嫌だ。
千早ちゃんも、以前はそんな感じだったのかも。お姉さんたちのこともお母さんのことも嫌ってて恨んでて、だから他人に意地悪して恨まれたりしても関係ないって思ってたのかも。だけど今は、お姉さんたちやお母さんのことはともかく、星谷さんに迷惑を掛けたくないから、悲しませたくないから、意地悪なことをしないでおこうって思えてるんじゃないかな。それ以前に、その必要がなくなったのもあるのかもしれないけど。他人に意地悪をしなくちゃいけない理由がなくなってしまったんだもんな。
家で叩かれたりすることも減って、みんなに大切にしてもらえて、その上でなにを意地悪する必要があるんだろうって感じかも。
イジメとかは、自分が受けたストレスを他人に転嫁する行為だっていう話を聞いたことがある。だとしたら、無駄にストレスを受けることがなくなったらそれを誰かに転嫁する必要もないよね。僕も、沙奈子や絵里奈や玲那に癒してもらってるおかげで、誰かに八つ当たりとかする必要が全くないって実感がある。
それを考えたら、波多野さんのお兄さんも実はストレスを感じてたんだろうか。だとしたらそれはどんなストレスなんだろう?。
話を聞いてるだけだったら単に甘やかされてきただけって印象もあるけど、でもだとしたら、自分を甘やかしてくれる親を苦しめる理由がないよね。それどころか離婚とかして家族がバラバラになったりしたら、甘やかしてくれる人がいなくなってしまうわけだから、それは逆に困るはずだし。
その辺りは、僕の兄に近いものがあるのかもしれない。僕の兄も散々甘やかされてきたはずなのに、両親のことは少しも大事にしようっていう感じがなかった。本当に甘やかしてもらえるんなら、困ったことがあったら泣きついて助けてもらえばいいのに、兄は家に近寄ろうともしなかった。たぶん、両親のことを嫌ってたんだ。でも何で?。
それを考えたら、甘やかしてるように見えてたのは、結局、本人にとってただストレスになってただけなんじゃないかな。両親にとって都合のいい人形になることを強要された代わりに甘やかしてもらってただけで、全然、嬉しいことじゃなかったんじゃないかな。
僕がされたみたいに無視されるのももちろん嫌だけど、兄がされてたみたいなのは過剰な干渉だったのかな。それで思うと僕の両親は、兄に対しては過剰な干渉、僕に対しては無視と、あまりにも両極端なことをしてきたのかも。間が無いんだ。
そういうやり方はマズいっていうのを誰からも教わらなかったから、僕の両親はそれを正しいと信じて続けるしかできなかったってことかも知れない。僕が今、そう考えることができるのは、それがマズいっていうことを知ったからだと思う。
僕はそういうことを教えてくれる人たちに出会えたからこんな風に思えるんだって、改めて感じたのだった。




