三百五十二 千早編 「石生蔵家のこれから」
夕方、山仁さんも起きてきて、千早ちゃんと星谷さんの誕生日パーティーが始まった。みんなでちょっとずつお金を出し合って(もちろん山仁さんと僕は大人だからその分は多めだけど)宅配ピザと宅配寿司を頼んで、その中心には千早ちゃんが作ったバースデーケーキを置いて。
ケーキには、一本の少し大きめの蝋燭と一本の小さい蝋燭を並べて、その周りに六本の小さい蝋燭を並べた。大きい蝋燭は10。小さい蝋燭は1を表してる。だから大きいの一本と小さいの一本で11。他の小さい六本を合わせて17。それぞれで千早ちゃんと星谷さんの年齢を表現しているんだ。
「ハッピーバースデイ、トゥ、ユウ~」
みんなで声を合わせて、
「ディア、千早ちゃんとピカ~。ハッピーバースデイ、トゥ~、ユウ~」
と締めくくった。
ふーっと千早ちゃんが蝋燭の火を吹き消す。
「おめでと~!」
だけど、山仁さんが起きてきてからのそれは、みんなが揃った上でのまとめみたいなものだった。ケーキが早く完成したからっていうことで予定変更して近所のカラオケボックスに繰り出して、そこで思いっ切り盛り上がってた。山仁さんにはゆっくり休んでもらいたかったし。
千早ちゃんはお気に入りのアニメの歌をいっぱい歌った。ついで波多野さん、イチコさん、田上さんかな。僕と星谷さんは遠慮しておいた。恥ずかしかったから。
カラオケボックスから戻って改めてパーティーの準備をして、山仁さんと絵里奈が揃って締めのパーティーになった。
「こんな楽しいパーティー、初めてだ…」
みんなが見守る中で蝋燭の火を吹き消してそう言った千早ちゃんは、涙ぐんでた。
「うれしいのに涙が出てくるよ…、変だよ…」
手で涙を拭う彼女に、星谷さんが声を掛けた。
「嬉しい時にも涙が出るのは普通ですよ。涙が出てくるときは我慢せずに泣いたらいいんです。私たちは家族です。家族の前で強がる必要はありません。千早…」
優しい目だった。その優しい目に見詰められながらそう言われて、千早ちゃんは泣き出した。親とはぐれて不安で不安で仕方なかった迷子が、お父さんとお母さんにやっと会えてホッとしたみたいに、声を上げて泣いてた。
いつも明るく振る舞ってたけど、でもやっぱりどこかずっと我慢してきたことがあったんだろうな。それが、こうやってみんなに誕生日を祝ってもらって、今まで我慢して我慢して耐えてきたものが解けちゃったんだろうな。
そうだよ。千早ちゃんもまだ子供なんだ。本当はもっといっぱい甘えたかったんだ。それを抑え込んで見ないようにしてきたんだ。以前はワガママそうなところもあったらしいけど、それでもまだ我慢してたんだと思う。それがようやく報われたんじゃないかな。
そんな彼女の様子を見てて気が付いた。僕が誕生日を祝ってもらうのを恥ずかしいと感じてたのは、こんな風にみんなに祝ってもらったら、今の千早ちゃんみたいに泣いてしまうかもって思ったからかもしれない。そういう姿を晒してしまいそうな自分に気が付いて、恥ずかしいと思ってしまった気がした。
波多野さんも田上さんも、もらい泣きしてた。ビデオ通話で参加してた絵里奈と玲那もだ。イチコさんも山仁さんも目が潤んでるように見えた。沙奈子と大希くんは泣きじゃくる千早ちゃんを温かい目で見守ってた。僕は…、僕もこらえきれずに涙がこぼれた。
いい誕生日パーティーだった。こんな誕生日パーティー、なかなかないんじゃないかなって僕は思った。
ひとしきり泣いて落ち着いた千早ちゃんと星谷さんが一緒にケーキを切り分けて、それをみんなに振る舞った。美味しかった。味もそうだけど、これを彼女自身が作ったんだっていうのが本当にすごいことだと思った。
千早ちゃんは僕たちの前でちゃんと泣くことができるようになった。僕たちの前で弱い部分を見せられるようになった。だからこれからは辛いことがあったら今まで以上に甘えてくれたらいいと思う。甘えて癒されて、嫌なことを吐き出して、そしてまた頑張ってくれたらいいと思う。
その日を境に、彼女はさらにどこか大人びた感じになったような気がした。辛くて苦しい境遇を乗り越えたその上に、辛くなったら泣ける場所を改めて得られたことで、心に余裕が持てたっていうことなのかも。
強がるのは、それは本当は『強さ』じゃないのかも知れない。実際には弱いから強がらなくちゃいけないのかも知れない。強さっていうのは、実はどれだけ心に余裕があるかってことなのかなって思ったりもした。だからその余裕を得た千早ちゃんは、間違いなく強くなったんだと思う。それが彼女の様子に現れてるんだと思う。
彼女は沙奈子を目標にしてるらしいけど、これはもうどっちが上か分からない気がする。どっちが上とか、関係ないのかも知れないけどさ。
ただきっと、千早ちゃんの家庭においては彼女が一番大人なんじゃないかっていう風にも思えた。イライラして自分より弱い相手に当たり散らすことしかできなかったお姉さんたちやお母さんよりは確実に大人だと思うんだ。
そしてその後、千早ちゃんは、完全に石生蔵家の台所を牛耳ってしまったそうだった。家の掃除とかも、それどころか家計まで握る勢いらしい。頼りないお姉さんたちやお母さんには任せておけないって。命令とかされなくても自分からどんどんやるから、いつの間にか彼女の都合にお姉さんたちやお母さんが合わせるようになっていったんだって。
お姉さんが『ギョーザが食べたい』って言っても、冷蔵庫の中のものを確認して『ごめん、今日は無理。カレーならできるけど』って千早ちゃんが言ったら、『じゃあ、カレーでいいや』って譲歩してくれるようになったって。
でもそれは、決して彼女が家族を支配してるっていう意味じゃない。自分にそれができるから自分がするんだっていうだけなんだ。だって、お姉さんのリクエストが聞けるときはちゃんと聞いてあげてるそうだし。
一番幼い千早ちゃんにそういうことを任せっきりにしてるのは、本当は情けないことなんだと思う。だけど、今の家族の中で一番恵まれた境遇にいるのはたぶん彼女だった。お姉さんたちやお母さんには、星谷さんを始めとした自分を受け止めてくれる頼りになる存在がいない。今は唯一、彼女だけが三人を受け止めてくれてるんだ。だから三人も千早ちゃんを頼るんだろう。ある意味では彼女が石生蔵家の『お母さん』なんだろうな。そして、本来のお母さんを長女とした、千歳さん、千晶さんの三姉妹って感じなんじゃないかな。
これが、千早ちゃんが家庭を取り戻す大きな一歩になったことは間違いないと思う。この先、彼女たちが自分の力で幸せを掴んでいけるようになるのを、僕は願わずにはいられなかったのだった。




