三百四十一 千早編 「三十三間堂」
沙奈子は救われた。だから今度は千早ちゃんの番なんだ。沙奈子とは違う形だけど、彼女が笑って過ごせるようになるのならそれは救われたって言っていいと思う。しかも千早ちゃんの場合は、本人が自分の力で家庭を変えるっていう形になる。これは本当にすごいことだ。沙奈子以上にすごいことをしようとしてるんだって思える。
上手くいってほしい。千早ちゃんが救われることを僕も心から願いたい。
「ウマウマ~!」
自分達で作ったカレーを食べながら、千早ちゃんはご機嫌だった。彼女の家でもこの笑顔が守られるようになってほしい。そのために僕もできることは協力したい。こうして三人で料理をする場所を提供するのもその一つだと思ってる。
あと、僕が沙奈子を抱き締めながら一緒に寝てるみたいに、星谷さんもことある毎に千早ちゃんを抱き締めてるらしかった。お姉さんやお母さんはそういうことを全くしてくれない代わりを、星谷さんがほとんどすべてやってるんだって。千早ちゃんが辛い時に話を聞いてあげることも、何もかも。それってもう、本当にお母さんと変わりないんじゃないかな。
でもそれと同時に、星谷さんは言う。
『千早を抱き締めることで、私も癒されてるんです。私も時折、未熟な自分が嫌になることがあります。そんな時に千早を抱き締めると、千早に必要とされてるんだっていうことを感じると、挫けてはいられないって感じるんです』
その感じ、すごくよく分かる気がする。僕が沙奈子を抱き締めながら一緒に寝るのも、それと同じことだって感じる。沙奈子を守ってるつもりで、自分が守られてるんだ。星谷さんも同じだったんだな。
ただ……。
『本当はヒロ坊に抱き締めてもらいたいっていうのもあるんですけど、まだ恥ずかしくてそこまでは……』
だって。そう言った時の星谷さんは潤んだ目をして頬を真っ赤にしてそれを手で押さえてて、すごく可愛らしい女の子の顔をしてると思った。人間っていろんな一面を持つんだなっていうのをすごく感じる気がする。星谷さんの想いも叶うといいな。
ああでも、その辺りはどうなんだろうな。沙奈子や千早ちゃんは大希くんのことをどう思ってるんだろう。今の様子を見る限りだと本当にただの気の合う友達って感じにしか見えないんだけど、そういうのはこの三人にはまだ早いのかな。
そんな感じでお互いの気持ちがぶつかり合ったりした時に、どう解決するのかなっていうのもふと思った。まだ先のことなんだとしても、ありうる話だよなあ。そういうことになってもいい形で決着してほしいなあ。
なんて、僕が考えても仕方ないことまで何度もついつい考えてしまう。でもこれからもきっと何度も考えてしまうんだろうな。だって、それが僕っていう人間なんだから。取り留めもないことを延々と考えてしまう人間なんだから。
そうしてお昼が終わって、千早ちゃんたちは帰っていった。こういうことを僕たちはこれからも何十回と、もしかしたら何百回と繰り返すんだろう。そうやって何度も、僕たちにとって必要なことを確かめるんだ。なんたって、人間は忘れる生き物だからね。『一生変わらない』とか誓ってもそのほんの数年後にはその時の気持ちも忘れて変わってしまってたりするくらいだし。大事なことは何回だって確かめなくちゃ。
だから、僕と沙奈子は、絵里奈と玲那に会いに行く。離れていても家族だって誓っていても、それが事実だっていうことを確かめるために。
今日は、絵里奈の提案で三十三間堂に行くことになった。僕たちのところからだとバスで京都駅の手前まで行ってそれから歩くのが手っ取り早いと思う。沙奈子にはもちろん酔い止めを飲んでもらって出掛けた。メッセージアプリは繋いだままだけど、やり取りは控えめにする。当然、歩きスマホはしない。沙奈子に真似されたら困るからっていうのを今日も自分に言い聞かせる。
もうすぐ京都駅というところ、七条通りの近くのバス停で今日は降りた。ここからは歩きだ。バスもあるけど、沙奈子が「歩くのがいい」って言ったからそうする。十分やそこらならこの子には歩きの方が楽なんだろうな。
信号待ちをしてる時に、三十三間堂の前のバス停で待ってると玲那からのメッセージが入ってるのを確認した。『こっちももうすぐつく』って返信する。
少し歩くと、バス停の近くで僕たちに気付いて、いつもの別人メイクでばっちり決めて手を振ってる玲那の姿が見えたから、僕たちも手を振り返した。
「沙奈子ちゃん、ぎゅーっ」
絵里奈が沙奈子を抱き締める。沙奈子も嬉しそうに絵里奈に抱き付いていた。お互いに会いたかったという気持ちを確かめ合ってるんだと感じた。その様子は、本当の母娘にしか見えないと今日も思った。
僕と玲那とはさすがにここだと抱き合うにも照れ臭いし、手を取り合うだけにした。だけどその手が、そして僕を真っ直ぐに見詰めてくるその目が、縋るみたいに僕を求めてるのを感じた。先週は直接は会えなかったからそれだけ会いたかったんだなっていうのがすごく分かった。そんな彼女を、絵里奈が『仕方ないなあ』って感じの目で見てた。確かに、事情を知らない他人がここだけ見たら僕と玲那がカップルみたいにも見えるだろうなとも思った。
絵里奈からしたらヤキモチだって妬いておかしくないと思うのに、玲那にとっては必要なことだっていうのが分かってるんだろうな。それに、この子を見る僕の目が、完全に、甘えてくる娘を見る父親のそれだっていうのを自分でも感じるし。だからこそ、この子の気持ちを受け止めてあげたいと思った。父親として。
こうして再会を喜んで、さっそく四人で三十三間堂を拝観した。外国人観光客も多くてそれなりに賑やかな感じもありつつも、やっぱりどこか静けさも感じられた。こういう雰囲気は嫌いじゃない。
人形のギャラリーも雰囲気があったけど、1000体の千手観音が並んでいる光景はさすがに圧巻だった。何て言うか、力を感じる。この仏像を作り上げた人達の想いとでも言ったらいいのかな。怖いくらいの存在感だった。見ると沙奈子も、どこか呆気に取られたみたいな表情で見てた。
人形に通じるものがあるのか、絵里奈と沙奈子の方が熱心だった気がする。そう言えば、人形のギャラリーに行った時も説明書きに『現代の仏像』なんていう風にも書かれてたな。作ってる人がそれだけ想いを込めてるんだなっていうのも感じられた。
絵里奈と沙奈子が夢中になって仏像を見てる間、玲那は僕の手をずっと握ってた。
『凄すぎてちょっと怖い…』
僕のスマホにそうメッセージが入る。
「そうだね…。僕も同じだよ。この迫力にはとても太刀打ちできないって思った」
そして僕たちは、仏像たちが作り出す空気の中にゆったりと包まれていたのだった。




