三百三十八 千早編 「沙奈子の初めて」
沙奈子の午後の勉強が終わって買い物に行って帰ってきてってしてるうちに絵里奈も仕事から帰ってきて、四人が揃った。沙奈子は絵里奈と一緒に人形の服作りを始める。
沙奈子にとっては服作りの練習ってことなんだけど、それが商品にもなるんだもんな。この子はどう感じてるんだろう。まだ恥ずかしいのかな。
そんな風に思ってると、
『お、沙奈子ちゃんの服が売れたよ~』
って玲那からメッセージが。
それは、以前に出品してもらった、莉奈が着られるサイズのドレスだった。
「沙奈子ちゃん、服が売れたって!」
絵里奈にそう言われてようやく気付いた沙奈子が、黙って俯いてしまった。見ると頬が赤い。やっぱり恥ずかしいみたいだ。まだ照れくさいんだな。
値段は二千円で、正直言って材料費とか手間とか考えると赤字だけど、記念すべき沙奈子の初めてだから、ここは素直に喜んであげたい。
「喜んでもらえたらいいね」
僕がそう言うと、沙奈子は顔を真っ赤にしたまま黙って頷いた。
しばらくその余韻で作業がはかどらなかったみたいだ。ようやく調子が出てきたと思ったら夕食の用意をする時間になってしまった。今日のメニューはハンバーグだ。気持ちを切り替えてハンバーグを作って、絵里奈も今日はハンバーグにして、四人で一緒に食べた。
山仁さんのところに顔を出したら、玲那が沙奈子の品物が売れたことを報告した。
「すごいじゃん!」
「もっとたくさん売れるといいね」
波多野さんと田上さんが嬉しそうにそう言ってくれた。
「もし、売上が安定して一定のレベルを維持できるようでしたら、起業し、事業化することをお勧めします。そうすれば誰憚ることなく玲那さんの仕事が確保できますから。ただし、沙奈子さんの作る品物をメインにするのは当面は控えた方がいいでしょう。児童労働の問題もありますので」
「ピカはシビアだなあ。もうちょっと気楽でいいんじゃないかな。ああでも、変に目を付けられたら困るし大事なことなのか」
星谷さんの指摘に波多野さんが苦い顔をする。でも、星谷さんと波多野さん、両方の言いたいことは僕にも分かった。星谷さんは、僕たちが沙奈子に品物をたくさん作らせて働かせてる形になるのを心配してるんだ。一方で波多野さんは、沙奈子が作ったものが売れることを素直に喜んだらいいって言ってくれてるんだと思う。だけど波多野さんも星谷さんの心配してることがちゃんと理解できてるんだって気がする。
僕たちも、沙奈子を働かせたいわけじゃない。あくまであの子が自分でやりたいと思った範囲で作ってくれたらいいと思ってる。けれどあの子は、自分の作る品物が僕たちにとって必要なものだと思ったら頑張ってしまう子だというのも感じてる。だから変にプレッシャーを掛けないように気を付けなきゃいけないと肝に銘じた。
波多野さんの方は、今月、いよいよお兄さんの裁判員裁判が始まる。だけど始まってからの方がずっと長い闘いになった。それを乗り切るために、僕たちはこれからもこうやって顔を合わせることになる。波多野さんを支えるために。波多野さんのたたかう勇気をささえるために。
山仁さんの家を出る時、千早ちゃんが、
「これから帰ってカルボナーラ作るぞ!。ぜったい成功させるぞ!」
と気合を入れてた。それを沙奈子が「がんばって」って励ましてた。
「ありがと~。沙奈ちゃ~ん!」
千早ちゃんがまたそう言って沙奈子に抱き付いて頬を擦り付けていた。これも彼女なりのスキンシップと言うか、感謝の表し方と言うか、自分自身を鼓舞するための儀式みたいなものなんだろうなって気もした。だから沙奈子もそれを受け入れてるんだろうな。アニメのキャラがやってたことの真似だと分かった上で。
「また明日ね~」
そうして別れて、僕と沙奈子は家に帰った。自分が満たされてるのを感じてた。これでまた一日たたかえるとも思った。
家に帰るとお風呂の用意をした。お風呂が沸くまでの間に沙奈子が日記を書いてた。フリマサイトで自分の作った人形のドレスが売れたことについてだった。この子も内心、嬉しかったんだろうなっていうのが分かった。だって、嫌なことについては基本的に書かないから。
お風呂が沸くと一緒に入る。やっぱり昨日思った通り、今日はもう普通に入れた。昨日のことはこれからも思い出す度に恥ずかしいと言うかいたたまれなさで身悶えると思うものの、過去は消せないからね。受け入れるしかない。
二人でまた蕩けたお餅みたいになってリラックスして、お風呂上りは四人で寛いだ。沙奈子はまた、人形の服を作ってる。僕らが作らせてる形にはならないように気を付けないとと改めて思った。ちゃんとこの子の様子を見て、辛そうにしてないか、嫌々やってる様子はないか、注意しないといけないな。
だけど今のところは夢中になってサクサク作っていく。作業してる様子もどこか楽しそうだ。それならいい。
寝る時間になって一緒に布団に入った時、聞いてみた。
「沙奈子が作ったドレスが売れたの、嬉しかった?」
すると「うん…」って頷いてた。恥ずかしそうにもしてるけど、確かに嬉しいっていうのもあるんだっていうのが改めて確認できたと思う。このことが沙奈子にとってどういう思い出になるのかは分からない。ただ、自分の作ったものが初めて売れたっていうのはきっと心に残るんだろうなとは思ったのだった。
月曜日からはまた、いつものルーチン作業の繰り返しだ。ただ平穏な毎日を繰り返していく。
だけど今週は、普段と違うことがあった。水曜日、沙奈子の品物を買ってくれた人からの感想が届いたっていうことだった。
『お子さんが作ったものだって言うから本当に試しのつもりで買ってみたんですけど、すごくよく出来てて可愛くて、とても子供さんが作ったものとは思えないクオリティでした!。さっそくうちの子に着せてみたらすごく似合ってて!。これで二千円は安すぎます。ちゃんと評価してあげないと申し訳ないです!、これの三倍でも安いと思います!』
っていう大絶賛だったって。
『沙奈子ちゃん、沙奈子ちゃんのドレスすっごく良かったって。喜んでもらえたよ!。良かったね!』
玲那のメッセージに、沙奈子もすごく嬉しそうにしてた。はっきりとした表情じゃなくても、僕には分かった。嬉しくてホッとしてっていうのがすごく伝わってきた。お客さんから送られてきた、沙奈子の作ったドレスを着た人形の写真を見詰めながら、頬を染めて、目が柔らかい感じになってた。
「じゃ、これ、今回の沙奈子のドレスの代金」
そう言って僕が二千円を渡すと、彼女はそれを大事そうに胸に抱き締めて、それからやっぱりクローゼットの引き出しの中のポシェットに仕舞った。それはこの子にとってとても大切な二千円になったんじゃないかなって僕も感じたのだった。




