三百三十六 千早編 「たたかう勇気を、ささえてあげるよ」
僕は驚いた。星谷さんみたいなすごい人でも、僕と同じようなことを考えていたんだと知って。特に『ヒーロー』に関するくだりなんて、僕が考えてるのとほとんど同じだったから。
星谷さんはさらに続けた。
「この世の全ての人を救い、悪を打ち滅ぼす完全無欠のヒーローは現実には存在しません。ですが、たった一人のためのヒーローなら存在できるのかもしれないとも私は思います。それには巨大な怪物を斬り伏せる剣も、一撃で山を消し飛ばす魔法も必要ありません。共に困難に立ち向かい、苦しみとたたかう勇気を支えてくれる誰かこそが、その人にとってのヒーローだと思うのです」
その言葉に、僕は胸が詰まるのを感じた。突然、体の奥深いところから何かが込み上げてきて、涙まで溢れそうになった。
『たたかう勇気をささえてくれる誰か』
まさしくそうだと思った。辛くても苦しくてもそれを支えてくれる誰かがいれば頑張れる。僕にとっての沙奈子であり絵里奈であり玲那であり、星谷さんや山仁さんたちみんながそうだった。だから僕は今、こうしてられる。星谷さんは、千早ちゃんにとってのそういう人であろうとしてたんだ。それが改めて分かって、何だかたまらない気分になった。
そして星谷さんの目は、今度は大希くんに向けられていた。頬を染めて、恋する女の子の顔になっていた気がした。
「私にとって、たたかう勇気をささえてくれるヒーローは、ヒロ坊です。ヒロ坊が私をささえてくれて、私が千早をささえて。それが人間が生きるということなのだと、私は思うのです」
その通りだと僕も思った。僕はヒーローそのものを否定してたけど、星谷さんは『ヒーローとは何か』っていう点について考えてみたんだと感じた。彼女の考え方なら、たった一人の誰かのための、生きる勇気を、辛い境遇とたたかう勇気をささえてくれるっていう形でのヒーローなら存在できるって素直に思えた。確かに、僕にとっては山仁さんや星谷さんはヒーローみたいな存在だった。
すると玲那が、何かを思い出したみたいにメッセージを送ってきた。
『そう言えば私が生まれたばっかりの頃にやってたアニメのDVDを見せてもらったことがあるんだけど、そのオープニングにそういう歌詞があったな』
へえ、そうなんだ。
『すごくいいアニメだったよ。久しぶりにまた見たくなっちゃった。
沙奈子ちゃんは興味ないかもしれないけど、千早ちゃんや大希くんなら面白いって思ってくれるかも』
アニメの話をする時の玲那は本当に活き活きしてるなあ。
千早ちゃんが中心になって作ったスパゲティカルボナーラが出来上がってみんなで食べる時、また今日も、玲那と千早ちゃんとでアニメの話で盛り上がった。それと言うのも、以前話題になってた「セレリオンの猫っ子たち」が完結したからだった。
「玲那さんの言った通りだったよ!。みんな助かって良かった!」
それは、玲那が言ってた『移民局のナガト長官が、チャーたちを助けるための救難船を送り込む大人の言い訳を考えてくれてるし、きっと大丈夫だよ』って言葉のことだった。元々結末を知ってたから当然なんだけど、玲那の言ってた通りに、ナガト長官っていう人が猫を助ける為だけに宇宙船を出すことはできないっていう政府に対して、新型の惑星開発用ロボットの運用試験っていう名目でもう一度、猫たちが取り残された惑星に宇宙船を派遣することを提案し、それによって猫たちが助かったんだって。
「チャーたちの宇宙船の生命維持装置が故障して、あと半月しか生きられないってなった時は、うわー、ダメだ―!って思っちゃった。だけど、惑星開発用ロボットを開発してたサーニャの飼い主の女の子のお父さんががんばってくれて予定よりも早く完成させてくれたから間に合ったんだよね!」
興奮気味にそう話す千早ちゃんに対して玲那も、
『そうそう、それに、チャーたちだって、諦めて苦しみながら死ぬくらいならいっそって考えて人間用の強い睡眠薬を飲もうとしてた子たちを支えてあげたからみんな助かったんだもんね』
って嬉しそうにメッセージを送ってきた。すると千早ちゃんは少し怒った顔になった。
「それよそれ、レリーナがその薬を見付けちゃった時にはすっげーイヤなフラグ立っちゃったってドキドキしたもん!。レリーナって、普段はリーダーぶってるけどホントはネガティブ思考だから。チャーたちが信じて待とうって言ってるのに、『私たちは捨てられたの!、その現実を受け入れなさい!』とか言っちゃって、最後までイライラさせられちゃったよ!」
その千早ちゃんの言葉には、ちょっとドキッとさせられた。僕たちは現実を受け入れることで生きることを選んで今の幸せを掴むことができてる。でも、アニメの中のレリーナってっていう子の『現実を受け入れなさい!』という言葉は、生きることを諦めるために使われたんだって感じた。同じ言葉でも使い方によってはまったく逆になるんだっていうのを思い知らされるものだった。
僕は思わず沙奈子を見てた。一緒にそのアニメを見てたはずのこの子は、そのセリフをどういう想いで聞いたんだろうと思った。だって、沙奈子は実の父親に『捨てられた』ことを受け入れてここにいるんだから。でも彼女は、別に気にした様子もなくて平然としてた。ちゃんと言葉の使い方の問題なんだってことを分かってくれてるのかもしれないって感じた。
それにアニメの中では、チャーが、
『現実って何よ!?。私たちが今こうして生きてるってのも現実じゃない!。だったら私は最後の最後まで諦めない!。私たちは生きてるんだから、みんなと一緒に生きるんだ!。例えダメだったとしても、私は最後まで諦めずに生き抜いたんだって胸を張りたい!!。
それにレリーナだって悔しくないの!?。地球にいるお姉さんを見返したいんでしょ!?。だったら最後まで諦めちゃダメだよ!、そんなんじゃ生きて地球に帰れたって、お姉さんには勝てないよ!!』
って、諦めそうになってる子たちを鼓舞したんだって玲那が言ってた。まさに、最後の最後まで諦めずに生きるためのたたかう勇気をささえてくれてたんだろうな。
フィクションだから盛り上げるための演出としてそうやって強い言い方をしたりもするんだろうけど、言いたいことは分かる気がした。ちゃんとそうやってヒントを散りばめてくれてるんだって気もした。そういう、最後は良かった良かったで終わるフィクションを馬鹿にしてた自分が少し恥ずかしかった。どうして良かった良かったで終われたのかっていうのがちゃんと描かれてるものもあるんだって気付かされた。
ああ、あと、チャーがそんな風に思えたのは、サーニャが『私はチャーが好き。チャーが生きてる限りは私も生きたい』って言ってくれたからだったんだって。




