三百三十二 千早編 「因果応報」
千早ちゃんのお姉さんの千歳さんがイジメグループを作って同級生の女の子をイジメて、イジメられてた女の子が耐え切れなくなってカッターナイフを振り回した事件は、最終的に示談という形で決着がついたらしい。
と言うのも、カッターナイフを振り回したその子のご両親が、世間からのあまりのバッシングに耐え切れなくなって、イジメのことを追及する気力が失われてしまったみたいだった。なにしろ、イジメを受けてたのは自分たちの娘の方だとマスコミのインタビューに答えたら、
『責任転嫁するな!』
『人を殺そうとしておいて言い訳とか、全然反省してないだろ』
『クソ親共々死刑にしろ!』
とかっていうバッシングがさらに強くなったって…。
これは、その女の子をイジメてたというクラスメートたちの証言も影響したらしい。
『自分たちはイジメとかしてない。彼女がちゃんとしないから自分たちはそれを注意してただけだ』
っていう。
だけどそれも、その女の子には実は軽度の発達障害があって、他の子と同じようにはなかなかできないっていうのもあったってことだった。なのに、そのクラスの生徒たちにはそういうことに対する理解がなくて、それどころか学校そのものにそういう理解がなくて、女の子は、他人の言うことを素直に聞かない、行動の遅いうじうじした面倒な問題児って思われてただけだったらしい。だから他のクラスメイトどころか教師たちでさえ彼女に対してやってることは『イジメじゃない』って思い込んでたって…。
それでもマスコミはその女の子がイジメられてたっていう報道はしてたのに、ネットでは、カッターナイフを振り回した女の子が元々問題児と思われてたという部分だけを真に受けられてしまって、マスコミは信用できないと余計に炎上してしまったんだって。
僕はゾッとした。玲那の時とほとんど同じだと思った。玲那の事件のことでもし僕たちが反論とかしてたら同じようなことになってたかも知れないって思えてしまった。
その後、カッターナイフを振り回した女の子側と怪我をした女の子側とで示談が成立して、事件の中心になった生徒4人がそれぞれ引っ越し、転校してしまったらしかった。そのうちの、イジメてた側のリーダー格だったのが、千早ちゃんのお姉さんの千歳さんだということだった。
でもそれも4人がばらばらに転校していったことでうやむやになって、誰も裁かれることはなかったって…。
ホントにもう、聞いてるだけで目眩がした。どうしてそんなことになるまで誰も何もしなかったんだってやっぱり思った。『誰がこの事件を作ったのか?』って話になったら、ここに出てきた人たち全員じゃないのかって気がしてしまった。
この事件の時は千早ちゃんはまだ小学1年生で、それこそほとんど何も覚えていないらしい。ただ、急に転校することになったのが嫌で嫌で泣いたら千歳さんに怒鳴られたってことだけは覚えてるって話だった。しかも、千早ちゃんの家の中で起こってたことは、こっちに引っ越してきてからも続いてたらしかった。
だから児童相談所にも何度も通報がいって、塚崎さんたちも何度も面会しようとしたけど拒まれてってしてる間に、沙奈子とのことがあって、大希くんとのことがあって、星谷さんと出会って、っていうことがあったっていう話だった。
この話自体は、玲那の裁判が終わった後で、星谷さんから聞いた話だ。でもその頃の僕は沙奈子がネットの悪意に触れてしまってショックを受けたことの方が大きくてそれどころじゃなかったっていうのもあった。それをまたこうして思い出してみると、改めて事の重大さを思い知らされる気がした。
千早ちゃんのお母さんのしたことも、お姉さんのしたことも、結局は裁かれることがなかった。関係した人がそう判断したのなら僕はもうそのことに対してあまり口出ししないでおこうと思った。ついつい『どうして?』って思ってしまうことはあっても、僕が今さら何を言っても無駄だから。
もし、千歳さんがイジメの加害者だったことの罪を問われないのはおかしいって言うのなら、千歳さんたちにイジメられて最後の最後に抵抗したのが表沙汰になってしまった女の子を攻撃して、事件の原因になったイジメのことを追求しようっていう意欲を摘んだ連中こそが責められるべきだと僕は思う。どうしてそんな事件になってしまったのかっていうのをちゃんと解明せずに幕を引きたいと、イジメの被害者だったはずの女の子の側に思わせたのは誰なんだって話だと僕は思う。
だから僕は、イジメの件で千歳さんの罪を問う権利はもう誰にもないっていう気がした。千歳さんの罪を問う権利を今でも持ってるのは、千歳さんから虐待を受けてた千早ちゃんだけだって気がする。でもその千早ちゃん自身がもう、それを問う気がないんだから、僕たちがあれこれ言っても仕方ないんじゃないかな。
それよりも、ただ千早ちゃんが救われてほしいというのが僕の正直な気持ちなんだ。
千早ちゃんが変わることでお姉さんたちやお母さんが変わるなら、それが一番確実なんじゃないかって思える。千早ちゃんが暴力を受けなくなれば、お姉さんたちやお母さんが千早ちゃんに暴力を振るう理由が無くなれば、自分がやったことを考える余裕もできそうな気もする。そんなに上手くはいかなくても、少なくとも千早ちゃんが救われるなら、それがこの一連の事件のせめてもの救いってことになるんじゃないかなって僕には思えたんだ。
ちなみに、カッターナイフで切りかかった女の子の事件の、千歳さん以外の当事者たちがその後どうなったのかっていうのも、星谷さんは調べてた。
カッターナイフで切りかかった女の子はフリースクールに通うようになって、今では見違えるくらいに明るくなったらしい。彼女が持ってる障害を理解してもらえたことで気持ちが楽になったってことだった。
ただ、千歳さんと一緒になってその女の子を特にイジメていた二人は、今度は逆に自分たちがイジメを受けるようになって、学校を転々とすることになったって話だった。それを『自業自得だ』という人は多いと思う。だけど僕は単純にそんな風には思えなかった。だって、千歳さんを含んだその三人以外でもイジメに加わったのはいたんだよね?。しかも教師はそれを止めようともしなかったんだよね?。それなのにどうしてその二人だけが『因果応報』を受けなきゃいけないんだろう?。もしそれが正しいことだったら、関わった全員に同じように因果応報がないとおかしくないかな。なのに、四人がいなくなった後のクラスは、何事もなかったみたいに平穏になったんだって。それっておかしくない?。
もっと詳しくクラス全員のその後を調べたらいろいろ出てくるかもしれなくても、分かってる部分だけで見たら僕には納得できないことだらけなのだった。




