三百三十 千早編 「立派にはなれなくても」
大掃除は正直言って大変だったし、他の子たちのお父さん方と一緒に側溝の掃除はしたけどあんまり話とかはできなかった。やっぱりまだ気軽にあまり知らない人と話をするとかは僕にはできないなって実感した。なんて言うか、噛み合わないんだ。リズムが合わないのかな。
掃除自体はちゃんとやらせてもらったつもりだった。知らないお父さんらしき男の人に「お疲れ様でした」と明るく声を掛けてもらったりもした。とにかく無難に終わらせることはできたと思う。結構汗もかいたし疲れた。
教室に戻ると沙奈子と絵里奈も戻ってた。
「みんなで一緒に帰ろう?」
千早ちゃんがそう声を掛けてきてくれたから、僕と沙奈子と絵里奈と、千早ちゃん、星谷さん、大希くん、波多野さんの七人で一緒に帰ることになった。このメンバーだとやっぱりホッとする。
自分がこんな感じで立派に振る舞えないから、沙奈子や絵里奈や玲那にも立派でいてくれることを強制しようとは思わないんだよね。自分にできることを頑張ってくれてたら十分って言うか。
ただ、今朝のことは自分でもさすがに凹まされる。ホントにもう、何をやってるんだろうって。絵里奈が傍にいるって、僕と絵里奈の二人だけだって思ったら抑えが利かなくなっちゃったんだよな。他の人にはそんな風にならないのに、絵里奈にだけはそうなってしまう。
それは多分、絵里奈も同じように僕を求めてくれてるのが分かるからだって思う。なんて言うか、匂うんだ。絵里奈がそういう気分になってるっていう匂いがしてる気がする。それを嗅ぐともうダメみたいだ。
不思議だな。フェロモンみたいなものが出てるってことなのかな。だけどそのおかげで、そういうのを発してない女性には反応しないのかもしれない。実は玲那からもそういうのを感じたことはなかった。僕のことを好きだと言ってくれる玲那だけど、体の関係は求めてないんだろうなって気もする。
自分にそんな能力と言うか感覚があるってことにも驚いたけど、それがうまく機能してることにも驚かされる。だからこれは今後も大事にしていきたい。他の女性に目移りしたりしないように。
変な話かもしれないと思いつつ、これがもし、波多野さんのお兄さんにも備わってたら、あんな事件は起こさなかったのかなって思ってしまったりもした。確かめようもないことだから考えても仕方ないことなんだけどさ。
それでもこうやって相手が求めてるかどうかってのを感じ取れれば、望まない行為ってのも減るのかなあ、なんて。
事件として表には出てないけど、そういう目に遭ってる人もきっとたくさんいるんだろうなって思うと、いたたまれない気持ちになる。玲那や、波多野さんのことがどうしても頭をよぎるから。
それと同時に、僕がもし、玲那に対してそういう気持ちになってたら、あの子はどうしたんだろう?。もしかしたら僕に対して幻滅したりしたのかな。それを思うと普通じゃない自分が逆にありがたかった。
普通であるということは必ずしもいいこととは限らない気がする。大体からして『普通』ってなんなんだろう?。それってただ単に『そういうことが多い』ってだけなんじゃないかな。本当は嫌なことなのにそれが一番多いからって普通って言われてることも結構ありそうな気がする。
そうだ。小さな交差点で歩行者や自転車が信号を守らないことはすごく多い。むしろ僕や沙奈子がちゃんと守ってたらその横を、僕よりずっと年上の人が当たり前みたいに信号を無視して渡っていく。止まる人の方がずっと少ない。だから世間ではそういう小さな交差点の信号なんて守らなくてもいいっていうのが『普通』なんだろうな。
それとか、男性が女性に対して欲求が抑えられなくなるのは『普通』なんだから、男性の部屋に女性がいくのは自己責任とか自業自得とかっていう考え方とかね。
僕は、そういうのは嫌だ。こういうこと言うと、また綺麗事とか言われるんだろうな。だけど、だったらどうしてその綺麗事を求めるんだよ?。他人が綺麗事を言うのは駄目で、自分が綺麗事を言うのはいいってなんなんだよ?。それとも、正義を振りかざすのは綺麗事じゃないとでも思ってるのかな?。それっておかしいと僕は思う。正義なんて、綺麗事の最たるものじゃないか。綺麗事を貫かない正義なんて、何の意味があるんだ?。
僕が正義のヒーローを馬鹿にしていたのは、そういう理由もあったんだって気がする。物語の中ではヒーローは綺麗事を貫いたりするのに、現実では全然そんなことない。偉そうに正義ぶってる奴がすごく強そうな不良を見たら体を小さくして目を着けられないようにこそこそしてるなんていうのが当たり前だった。正義を掲げてネットで大きなことを言ってる奴だって、どうせ自分が絶対に勝てない相手を前にしたらそんなこと言えないよな。
別に綺麗事を言いたいわけじゃないんだ。ルールを守らないとか、嫌がってる人に無理矢理なんてのを当たり前だと思ってる奴が『普通』なんておかしいだろって思ってるだけなんだ。それを普通だと思ってる人間が他人には『ルールを守れ』とか偉そうに言うのがおかしいって感じるだけなんだ。
だから僕は沙奈子に対しても偉そうなことが言えない。自分が立派な人間じゃないって分かってるから。それでも守ってほしいことがあったら、ルールとか守ってほしいんなら、まず僕が守らなきゃ沙奈子にも守るように言えないって思ってるだけなんだ。小さな交差点で信号を守らないことがたとえ世間の普通なんだとしても、沙奈子に対して『信号は守ってね』って言うんだったら僕が守らなきゃそんなこと言えないって思ってるだけなんだ。それが普通かどうかは問題じゃない。
小さな交差点だったら信号なんて守らなくていいと考えてる大人が子供に対して『信号を守れ』って偉そうに言うのが普通だなんていうのは僕は嫌だ。そういうのが普通だって言うのなら、僕は普通じゃなくていい。
だから僕は、信号を守った。すると沙奈子も千早ちゃんも大希くんも星谷さんも当たり前に止まった。絵里奈と波多野さんは話に夢中になってそのまま行こうとして僕たちが止まったのに気付いて慌てて止まった。
「子供たちが見てるよ」
僕がそう言うと、絵里奈が、
「そうだね。ごめんね、沙奈子ちゃん」
って頭を掻いた。波多野さんもバツが悪そうに「えへへ」って笑ってた。
絵里奈も波多野さんも、すぐに気付いてくれるのがすごいと思った。自分が間違ってるんだって分かってくれるんだから。久しぶりに絵里奈と二人きりになれたからってついとか、僕たちはぜんぜん立派な人間じゃないけど、立派じゃないなりに努力はしたいと思ってる。子供たちに偉そうな態度はできなくても大事なことは一緒に学んでいきたいと思う。
僕たちもまだまだ半人前なんだから。




