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僕に突然扶養家族ができた訳  作者: 太凡洋人
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三百二十六 千早編 「何気ない奇跡」

千早ちゃんたちが帰って僕の膝で沙奈子が午後の勉強をしてる間にも、僕は玲那とやり取りしながらあれこれ考えてた。


あの日、何とも言えない顔で僕たちを見て出て行った時の玲那の顔が頭をよぎる。もう二度と、あんな表情は見たくない。玲那はもちろん、沙奈子も絵里奈も、他の誰でも。今度、誰かがあの顔をしたら、僕は引きとめてしまう気がする。と言うか引きとめなきゃいけないって気がしてる。


ただ、それが本当に正解なのかどうかは、結果が出てみないと分からないんだろうな。


あの時、引きとめていたらその後の事件はなかったかもしれない。でもそれはそれで別の何かが起こってたっていう可能性も否定はできないのかもしれないって気もする。それが何かは分からないけど。だから僕は、起こってしまったことを受けとめなきゃいけないんだっていう風にも思ったりもした。以前にも思ってたことだけど、それをさらに強く思うようになったって言うか。


そう思うようになると、玲那の事件のこともいつかは受け止められそうな気がしたり。


実際に完全に受け止められたりはしないのかも知れない。それは後になってみないと分からないことなんだろう。


僕はまだ、自分に何ができるのかっていうのを探してる最中だから。弱いなら弱いなりにできることがある気もするし、やっぱり僕には何もできないって思ってしまう自分もいるし。はあ、人間って本当に面倒だなあ。


なんていういつもの堂々巡りもしながら時間は過ぎて、午後の勉強が終わった後は沙奈子と二人で買い物に行った。それが終わると夕食の用意を始めるまで人形の服作りだ。ちょうどそれを始めた頃に絵里奈が仕事から帰ってきて、四人が揃った。


自分でも人形の服作りをしながら沙奈子の様子もチェックしてる絵里奈の姿を見てると、『ああ、お母さんだなあ』って感じてホッとした。玲那は玲那で秋嶋さんたちと盛り上がってる感じだった。でも不意打ちみたいに『お父さん大好き』『愛してる』ってメッセージが届くから油断できない。僕の反応を見てニヤニヤしてる玲那の姿も可愛いと思ってしまった。


僕はこれといって趣味がなくて、こうやって家族と一緒にしてその様子を見たり話をしたりすること自体が趣味みたいになってるから、この時間が満ち足りたものに感じられるんだろうなとも思ったりはする。こんなにずっと家族と一緒にいて飽きないのかって思う人もいるかも知れない。でも僕は飽きないんだ。だから本当にこうして家族と一緒にいることそのものが僕の趣味って感じだと思う。


それに僕たちの場合は、別々に住んでるから余計にこういう時間が大切って感じるし。


とその時、ふと、沙奈子の頭の位置がまた変わってきてることに気が付いた。位置が明らかに高い。こういう何気ない瞬間に、この子の成長を意識させられた。順調に成長してるんだなって思ってまた胸が満たされる気がする。


そうだ。子供は成長してるんだ。僕がカッコ悪く堂々巡りしてる間にもこの子はどんどん成長していく。自分がこの子を成長させられてるっていう実感はまるでないけど、なんだか気が付いたらこの子は成長してる。人間ってすごいな……。


思わず後ろから抱きしめそうになって、でも我慢した。今は針仕事してる最中だから危ない危ない。


五時を回って夕食の用意を始める。今日は沙奈子の手作りハンバーグだ。僕が何もしなくても一人で手際よくどんどん作っていくその様子に、ちょっと寂しさも感じたりした。それはこの子の成長であると同時に、いつか僕の下から巣立っていくんだなっていう予感のような気もしたから。


まだ11歳だし、大学に行ってそれを卒業してからってことだとすればあと11年くらいはあるんだろうと思いつつ。その時になってみればあっという間だったと感じるんだろうななんて思ってみたり。


手慣れた感じでハンバーグを焼いてる沙奈子の姿を見てて、絵里奈の叔父さんが絵里奈を見た時の姿が頭に蘇ってきた。嬉しそうなんだけど、今思い出してみるとどこか寂しそうだったようにも思える表情だった気がした。大人になって幸せそうな顔をして自分のところに現れた絵里奈に、嬉しさと同時に自分の下を巣立っていったことを改めて実感した寂しさみたいなものがあったのかな。なんて。


そうだ。僕もいずれはそういう目でこの子を見詰めることになるんだろうな。だけどその時は、この子が幸せそうに笑っててほしいって心から思う。


「お父さん…?」


僕があんまり見詰めてたからか、沙奈子が僕を見てそう言った。言われて僕は、自分が涙ぐんでることに気が付いた。まったくなんでもない普段の光景を見て目を潤ませてるとか、さすがにちょっと恥ずかしかった。


「大丈夫、何でもないよ。沙奈子とこうしていられるのが幸せだなって思ってね」


それも正直な気持ちだった。僕は幸せを噛み締めてたんだって自覚した。すると沙奈子の頬がほわっと赤くなった気がした。


「私も、お父さんといっしょにいられるのうれしい。私もお姉ちゃんと同じ。お父さんのこと大好き……」


玲那の真似をするみたいにそう言ってくれたこの子に、僕はまた込み上げてくるものを感じた。こんな日常の何気ない一コマの中でこういう気持ちになれるなんて、なんて贅沢なんだろう。なんて恵まれてるんだろう。世の中から見たらどうでもいいくらいにちっぽけなことかも知れなくても、僕にとっては本当にかけがえのない瞬間だった。僕を見詰めるその瞳と、今の言葉があれば、それだけで全てが報われる。


何をどうすればいいのかっていうのを延々と小難しく考えてしまう僕だけど、本来ならそんなこといちいち考えなくても感じ取れたらきっともっと楽なんだって気もする。だけど僕はこういう人間だから、いつだってあれこれ考えてその中で答えを探していくんだろう。これからもずっと。こんな面倒臭い人間を『大好き』って言ってくれるこの子が、僕にとってもかけがえのない大切なものなんだ。


とか、やっぱりいちいち頭で考えちゃってるな。もっと素直に心で感じられたらまた違うんだろうな。


ああでも、沙奈子も、絵里奈も、玲那も、こんな面倒臭い僕を好きだと言ってくれてるんだ。なんてすごいことなんだ。ある意味、奇跡だってさえ思う。兄がこの子をここに置き去りしていなかったら起こらなかった奇跡なんだ。自分の子供を置き去りにしていくなんてひどいことのはずなのに、それがなかったら今の僕たちはいなかったんだ。


つくづく人生って、何が幸いするか分からない。どう転ぶか分からない。ひょっとしたらこれから先、玲那の事件があったからこの奇跡は起こったんだって感じるようなことも起こるかもしれない。それを思うと、僕は何とも言えない不思議な気分になるのだった。

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