三百二十三 千早編 「子供たちの作品」
絵里奈の叔父さんへの挨拶も終えて何となく新しい気分で迎えたような気がした月曜日だったけど、実際にはこれまでと何も変わらなかった。平穏で淡々とした時間が過ぎて行き、僕たちは幸せをかみしめていた。
水曜日。仕事から帰ると玲那が、
『フリマサイトに出品してた品物が売れたよ~、しかも二つ。合計4000円の売り上げだ~』
だって。さらに、
『以前の常連さんだった人たちからの問い合わせが次々来てるよ。これはかなり期待できそう』
とテンションが上がってた。もしそうなら僕としても喜ばしいことだ。これで玲那が自分の分の生活費を確保できるようになれば、障害年金の申請をしなくて済むかも知れない。最低限、年金でもらえる程度の収入があればもうそれでいいと思えた。
たぶん、弁護士の佐々本さんとかにしてみれば『遠慮する必要なんてありません』と言うと思うけど、正直、それで攻撃されるかもと思うと、遠慮と言うより『怖い』んだ。そういうことがあるから、実は真面目な大人しい人ほど生活保護とかの申請を躊躇ってしまって、結果としてもっと追い詰められるっていうこともありそうな気がした。何のための、誰のためのセーフティーネットなんだろう…。
ただ、僕たちの場合は、決して楽じゃないけど贅沢さえしなければ何とかなりそうだから助かっていた。それに加えてフリマサイトで収入が得られれば、かなり助かる気がする。まあ、確定申告とかは面倒になりそうだけどさ。
品物を作るのは絵里奈と沙奈子だけど、出品した商品の管理、顧客対応、発送は玲那の仕事ってことになる。だから玲那もちゃんと働いてることになると思う。もしそれが軌道に乗ってくれば、絵里奈もかつて考えてたみたいに本当に会社にして仕事にしてしまえばいい。さすがにそこまで上手くいくとは思えないけど、そういうことも視野に入れておこう。
と思ってたら、本当に品物が順調に売れていったのだった。
元々、絵里奈の作る人形やぬいぐるみの服の評判が良くて、就職してそっちを辞めてしまったことを残念がってた人が結構いたという話だった。まさかそれが今になって役に立つとか。
金曜日には沙奈子が作っていたドレスも完成。明日、玲那にそれを渡して出品してもらうことになった。
「他の人に見られるの、ちょっと恥ずかしい…」
沙奈子は頬を染めてそんな風に呟いた。だけど、印象としてはまんざらでもなかった気がする。だけどこれがまさか本当に『仕事』になってしまうなんて、この時には思っててもどこか夢物語だっていう感じもしてた。
土曜日。今日はまた、千早ちゃんたちがきて先週に続いてミートスパゲッティにすることになった。と言うのも、千早ちゃんがあの後、家で作ったミートスパゲッティが、お姉さんたちは『美味しい』って言ってくれたそうなんだけど、千早ちゃん自身としては納得のいく出来じゃなかったらしい。だから今日、もう一度練習してみたいということだった。拘るなあ。
けれど、沙奈子も絵里奈も、他の誰もそれを批判したりしなかった。千早ちゃんがそうしたいって言うんなら、協力したいと思ってくれた。
「うん、これだよこれ!」
出来上がったミートスパゲッティを食べながら、千早ちゃんが声を上げた。今度は上手くいったらしい。
「よ~し、今度こそカンペキなの作るぞ~!」
嬉しそうに笑う千早ちゃんを、沙奈子も穏やかな視線で見守ってた。
千早ちゃんたちが帰ってから僕と沙奈子はバスに乗って絵里奈と玲那に会いに行った。今日は鴨川の堤防沿いでのんびりした。
沙奈子が作ったドレスを見ると玲那が、驚いたようなキラキラした目をした。
『すごい、すごいよ沙奈子ちゃん!』
声は出てないけど、漏れ出る息の音と口の動きでそう言ったのが分かった。
「ホントすごい。メキメキ上達してるのが分かりますね。これなら出品しても大丈夫でしょう」
絵里奈からもそうお墨付きをもらって、帰ったらさっそく出品することにしたそうだった。
家族としての穏やかな時間はあっという間に過ぎて行った。別れ際は少し名残惜しいけど、また一週間の我慢だ。それに帰ったらビデオ通話もある。
家に着くと、先に帰ってた玲那がさっそく、『出品したよ~』と言ってきた。こっちのPCでも絵里奈のブースを確認すると、確かに沙奈子が作ったドレスが出品されてた。写真もきれいで、本当にちゃんとした商品に見えた。
商品説明には、
『娘が作った三分の一サイズのドールのドレスです。まだまだ未熟な部分もあるのでお安く提供させていただきます』
となってた。さすがにちょっと厳しい感じだけど、お客さんにお金を出して買ってもらう『商品』として見れば、やっぱりまだ未熟な部分があるのは事実だろうから、これは仕方ないと僕も思った。お客に過剰な期待をさせてそれに見合う品質じゃなかった時のことを考えるとね。
それに沙奈子も、自分の作るものがまだまだ未熟だっていうのは感じてるみたいだった。
「大丈夫かな?。がっかりしないかな?」
って僕と絵里奈に聞いてきた。
「大丈夫だよ。こうやってちゃんと説明しておけば、子供が作ったものだって分かってて買ってくれるから。それに、沙奈子の作るものは本当にすごいよ。子供とは思えない出来だから。きっとすごさにびっくりしてくれるよ」
僕がそう言うと、沙奈子は照れ臭そうに頬を染めながら自分の作品のページを見詰めてた。
だけど沙奈子は、もう、僕か、千早ちゃんや大希くんのいるところでしかネットは見ないようにしてるようだった。千早ちゃんや大希くんも、星谷さんになるべく決まったところしか見ないように言われてるらしかった。基本的にはアニメを配信してるサイトと、おもしろ動画を探すための動画サイトと、ゲームのサイトだけらしい。
別に厳しく言わなくても、他人への悪口を見るのは嫌いだから見ないんだって。そうだよね。この子たちは他人の悪口を言わずにいられないような精神状態にないんだから。
この子たちを見てれば、ネットで悪口を並べてるような人たちが実はどれほど幸せを感じられてないのかってことが分かってしまう気がする。『悪口を言っちゃダメ』なんて言わなくても、この子たちはそういうの言わないから。言う必要がないんだ。そんなこと言って相手を怒らせてわざわざ嫌な気分になる必要がないんだ。だから言わない。
結局は、そういうことなんだと思う。
波多野さんの口が悪いのは、今も実際に苦しいことの真っ最中にいるからなんだっていうのが分かる。なにしろ、彼女が吐く悪態は、ほとんど全て事件に絡んだことだから。それ以外で誰かのことを悪く言ってるのを見たことがない。
沙奈子がそういうのを言わないのはこの子の性格もあるとは思うけど、やっぱり一番は、今ではそこまで言わなきゃいけない理由がないっていうのを感じたのだった。




