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僕に突然扶養家族ができた訳  作者: 太凡洋人
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三百二十二 千早編 「幸せの形」

会合自体は特に新しい話題もなかったからすぐに終わって、波多野さんの様子もいつもと変わらずってことが確認できて、僕は家に帰ることになった。僕と一緒に、星谷ひかりたにさんと田上たのうえさんも帰るって。


僕は沙奈子を連れて、星谷さんは千早ちはやちゃんを連れて、田上さんは自分の家に帰るために自転車に乗って、「じゃあ、また明日」ってことで別れた。千早ちゃんがにこにこ笑いながら手を振ってくれてた。これから帰ってミートスパゲッティを作るらしい。星谷さんの手には、そのための材料が入った袋が握られてた。


これから自分の家に帰るっていうのに千早ちゃんがあんなに笑顔だったっていうことは、家に帰るのが嫌っていうわけじゃないっていうのはすごく感じた。それどころか、帰って家族のためにミートスパゲッティを作るのが楽しみなんだろうなっていう印象さえある。これなら大丈夫だっていう風にも思えた。


そうだ。あの日、たまたま帰りに一緒になって、ホットケーキを沙奈子と一緒に作りたいという話になった時、『おうちの人のお許しが出たらね』って言葉を掛けた僕に見せた、苦しそうな悲しそうな目。あの時の千早ちゃんの姿はもうない。それは彼女にとって望ましい形になりつつあるっていうことの何よりの証拠なんじゃないかな。


千早ちゃんは、こんなにいい子だった。朗らかで明るくて優しくて。たとえそれがまだ仮面だったとしても、まったく彼女の中にないものは仮面にすらならないと思う。彼女の中には確かにそういう部分があったから、それを表に出すことができるんだ。それがいつか本当に普段の顔になってくれれば、いや、もしかするともうすでに普段の顔になってるのかも知れないけど、無理することなくそうでいてくれれば僕も嬉しいと思えた。


僕がそう思うのは、沙奈子のためだ。千早ちゃんが苦しんだり悲しんだりしてると沙奈子が悲しむ。それが嫌だから僕は千早ちゃんにも幸せになってほしい。それを改めて心に刻む。しつこいくらいにそう考えるのは、自分が本質的には冷たい人間だっていうのが分かってるからだ。心のどこかでは他人のことなんてどうでもいいと思ってて、知らないふり、気付かないふり、見て見てないふりができてしまうのが分かってるから、それじゃ沙奈子のことも守れないっていうのを自分に言い聞かせるために、意識的に自分に言い聞かせてるんだ。『沙奈子を守るため』っていう、僕にとって分かりやすい理由があれば、他人のことも大切にしなきゃって思えるから。


本当に、それがすごく上手くいってるのを感じてる。自分の家族さえ良ければそれでいいみたいなことにならないで済んでる。自分の家族が守られるためには、家族以外の人も幸せでいてくれないと困るんだ。人を傷付けようとする人は、幸せを実感できてない人だと思うから。自分が幸せじゃないと思うからどうなってもいいと自棄にもなれるし、他人の幸せを妬むし、自分と同じように苦しめばいいとか思うんじゃないかなって気がしてる。幸せな人は、自分の幸せを壊したいとは思わないはずだから。


僕たちには全く関係のない人たちについても、そう考えれば幸せになってほしいって思えるんだ。


以前はそんなこと、考えたこともなかった気がする。なにしろ自分が幸せとか全く感じたことがなかったから。何が幸せで何がそうでないのかなんてまるで区別がつかなかったから。それどころか、幸せなんて作り話の中にしかない、空想上の何かだと思ってた気さえする。


そんな僕が、沙奈子や、絵里奈や、玲那が穏やかに笑ってくれててるのを見ると、それが幸せなんだって思えるんだ。何故そう思うのかなんて上手く説明できないけど、とにかくそう感じるんだ。だから、沙奈子にも絵里奈にも玲那にも穏やかに笑っててほしい。三人がそんな風に笑ってられるようにするにはどうしたらいいのかっていうのを僕は考えたい。千早ちゃんが苦しんでたり悲しんでたりしたら沙奈子が悲しむから嫌なんだ。


沙奈子は今、あまり上手に笑えないかも知れない。だけど、他の人には分からなくても、僕には分かる。この子はもうちゃんと笑えるようになってきてる。僕たちの前では笑ってくれてる。この子のことをよく知らない人にはそれが分かりにくいだけで。


ネット上の悪意に触れてショックを受けてしまって笑顔の作り方を忘れてしまったのかもしれなくても、それはゆっくりと思い出していってくれればいい。あまり感情を表に出すのが怖くなってしまったんだとしても、いつか大丈夫だって実感できてくれればいい。何年かかってもかまわない。おねしょのことだって何年かかってもかまわないと覚悟したんだ。これも同じだ。それにこの子が本当に感情を失ってしまったわけじゃないのは僕たちには分かってる。だから心配してない。この子の心はちゃんとある。ちゃんと機能してる。僕たちがそれを分かっててあげられればそれで十分だと思う。


僕たちのアパートへの帰り道。僕の手をしっかりと掴んでくれてる沙奈子のぬくもりが、この子の意志の強さだとも思える。この子はちゃんといて、この子の心はちゃんとここにある。どこにも行ってない。だから僕はこの子を守りたい。それこそが僕の幸せにも繋がるから。そして、絵里奈と玲那のことも。


その上で、僕たち四人だけじゃなくて、僕たちに連なる人たちの誰が苦しんでても悲しんでても僕たちの幸せは完全じゃない。以前なら想像もできなかったそんな考え方が今はできてしまう。本当にすごいことだよ。


みんながそんな風に思えたら苦しいこととか辛いこととかもっと減りそうなのにな。それがすごく残念だった。僕みたいな冴えない中途半端な人間だってそういう風に思えるようになったんだから、本当は誰でもそう思えそうな気がしてくる。


でも、誰でもそう思えて当たり前だって考えてしまうとそれもきっと危ないんだろうな。そうじゃない人を見ると苛立ってしまったり強引に考えを変えようとしてしまいそうな気もするし。それは違うと僕も思う。そんなことをしたら作らなくていい軋轢を作って結局はみんなが嫌な思いをするだろうから。


焦っちゃダメなんだ。思い上がっちゃダメなんだ。僕にはそんな力はない。僕はただ、自分で自分の問題を解決しようとしてる千早ちゃんをちょっとだけ手助けするとかその程度のことが精一杯なんだ。他人を変えようとして余計なことをしてそれが上手くいかないからってイライラしたり『どうして分かってくれないんだ!?』って感情的になってちゃダメなんだ。上手くいかないのが当たり前。だって僕はそんなすごい人間じゃないから。


僕がそういうことでイライラしたりしてたら沙奈子も絵里奈も玲那も悲しむんだっていうのが今なら分かるんだ。



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