三百十五 千早編 「ご挨拶」
絵里奈にとって叔父さんはお父さん代わりだったけど、その分、本当にお父さんみたいなところがあったらしい。絵里奈のプライバシーにずけずけと踏み込んできたり、恥ずかしい秘密をばらしたりとか。
ただそれは、叔父さんなりの親愛の情だったらしいけど。
「叔父さん、他の子にはそんなこと絶対に言わないのに、私に対してだけは遠慮なくて…。『家族だからつい、ね』って言ってたし私のことを特別扱いしてくれてるっていうのは分かってそれが嬉しくて…。だけどだけど恥ずかしいものは恥ずかしいんです~!」
僕たちだけに辛うじて聞こえる小さな声でそう言いながら、両手で頬を覆ってても分かるくらいに顔を真っ赤にした絵里奈が、身悶えるみたいにして頭をぶんぶん振ってた。叔父さんが自分を大切に想ってくれてることは分かってるから嫌うこともできず余計に困ってたりしてたって。
以前に絵里奈が話してた、高校の頃にちょっとグレかけた時の話とかされると恥ずかしくて死にそうと思ってたらしかった。
『絵里奈の黒歴史だもんね』
僕のスマホに、玲那からそうメッセージが届いた。
『写真見せてもらったことあるけど、ホントに笑うよ。
パーマ掛けてへったくそなメイクして、制服のウエスト折り返してミニスカートにしてるの。
しかもあの頃でももう時代遅れだったルーズソックスまで履いてさ。
それがまたギャルになりきれない中途半端さで、吹っ切れてないのがバレバレで』
だって。
「玲那~…!!」
恨めしそうな顔で玲那を睨み付ける絵里奈に、僕は苦笑いするしかできないでいた。
その時、
「何を内緒話してるのかな?」
と声を掛けられて、絵里奈の体がビクンっと跳ねた。ひきつった笑いを浮かべながら「え、と、こっちのことだから気にしないで…!」と応えてたものの、あまりの不自然さに気にするなという方が無理だと思った。だけど叔父さんはそんな絵里奈のことを目を細めて微笑みながら見てた。
「明るくなったね、絵里奈。幸せなんだな」
叔父さんが穏やかな感じでそう言うと、絵里奈はハッとした顔になった。それから頬を染めながら「…うん」って頷いた。
そんな二人のやり取りが本当に仲のいい父と娘って感じで、僕は自分がすごく落ち着いてくるのを感じてた。絵里奈のことをとても大事に思ってくれてるのが伝わってきて…。
「では、改めまして。絵里奈の叔父の山田秀栄と申します。本日はわざわざご足労いただきましてありがとうございました」
オレンジジュースを出してくれて、自分も席に着いた叔父さんが丁寧に挨拶してくれて、僕は背筋が伸びるのを感じた。みんなで頭を下げると叔父さんはまず、玲那の方に向き直って、
「あなたが玲那さんですね。絵里奈がいつもお世話になっています。報道で窺った程度のことしか僕には分かりませんが、大変なご苦労をなさってきたそうですね。あなたのお父さんと近い世代の人間として、慙愧に堪えません。心よりお見舞い申し上げます」
と、大きな体を折り畳むみたいにして深く頭を下げた。思いがけないそれに玲那も慌てて、声は出ないのに思わずしゃべろうとして両手と頭をぶんぶん振って恐縮してた。
「ちょっと、叔父さん。玲那はしゃべれないんだからそんな慌てさせちゃ駄目だよ」
玲那の慌てように絵里奈が手を伸ばしながら声を上げる。すると叔父さんも少し焦ったみたいに顔を上げて、「ああ、これは失敬…!」と頭を掻いた。それから改めて玲那を見て、静かに語りだす。
「あなたのなさったことは、あなたの過去をもってしても許されることではなかったでしょう。ですが結論の出たことでしたら僕はもう関知しません。これからも絵里奈と仲良くしてあげてください。よろしくお願いいたします…」
再び深々と頭を下げる叔父さんの姿に、僕は圧倒さえされていた。玲那の過去と罪を承知した上で、娘も同然の絵里奈との関係を大切にしようとするとか、なんて器の大きい人だろうと思った。普通なら、遠ざけようとしてもおかしくないはずなのに…。
なるほどこれは『お父さん』だ……。
僕はそう思った。絵里奈が『お父さん』と慕って頼りにするわけだと納得するしかなかった。絵里奈のお父さん代わりなら、僕にとっても『お義父さん』みたいな人になるってことだと思う。この人の娘をもらったなんて、すごく大それたことをしてしまった気さえした。
だけど叔父さんは、そんな想いに体さえ強張ってしまってた僕じゃなく、今度は沙奈子の方を見て口を開いた。
「そしてあなたが沙奈子さんだね?。初めまして。あなたのお母さんになった絵里奈の叔父です」
僅か11歳の女の子相手にも叔父さんは丁寧に挨拶した後、やっぱり深々と頭を下げた。子供相手でもちゃんと一人の人間として接しようとする信念がそこにはあった。すると沙奈子は、意外なほど落ち着いた感じで、
「こんにちは。山下沙奈子です」
と叔父さんに負けないくらいに丁寧に挨拶をしてみせた。叔父さんはそんな沙奈子の様子を真っ直ぐに見つめてた。沙奈子もそんな叔父さんのことを見つめ返してた。時間にしたらほんの何秒かだと思うけど、その何とも言えない間を経て、彼女を見つめていた顔がふわっとほころんだ。
「沙奈子ちゃんは、お父さんとお母さんのことが好き?」
唐突な質問にも沙奈子は動じることなく前を向いてはっきりと答える。
「はい、好きです」
彼女の言葉を聞いた叔父さんはますます顔をほころばせて、何か得心がいったみたいにうんうんと大きく頷いた。それから僕に向き直って姿勢を正す。今度はピリッとした空気を感じて、僕も改めて姿勢を正した。
「沙奈子さんはすごくいい子ですね。真っ直ぐであなたと絵里奈のことを本当に信頼して必要としてるのを感じました。沙奈子さんに信頼されているあなたなら、絵里奈のことをお任せできると思います。
達さん。絵里奈はご存じの通り心に傷を負って人間としては非常に拙い子ですが、その本質は純粋で温かいものを持った子なんです。どうか、大切にしてあげてください。不束者ですが、末永くよろしくお願いいたします」
そう言いながら座布団から降りて畳に手をつき頭までつけるくらいに深く頭を下げた叔父さんの姿に僕もまた慌てて後ろに下がって、同じように手をついて頭を下げた。
「いえ!、僕の方こそ未熟で頼りない男ですが、絵里奈さんとなら幸せになれると感じました。大切にさせていただきます。よろしくお願いします!」
なんか滅茶苦茶な挨拶になってしまった気がするけど、それがこの時の僕の精一杯だった気もする。
こうして叔父さんへの挨拶は何とか無事に終わったんだけど、僕と叔父さんがお互いに何度も頭を下げてるところに電話がかかってきた。急用ができたのでこれから子供を預かってほしいという電話だった。そこで僕たちは、そのまま帰ることになったのだった。




