三百十三 千早編 「ヤキモチ」
家に帰るとまずお風呂の用意をして、それから沙奈子と二人で夕食を作った。今日は、本当は昨日の夕食として作るつもりだったミートスパゲッティだった。と言っても、僕がするのはカセットコンロでパスタを茹でるくらいだけど。
ミートソースは沙奈子の担当だった。当たり前みたいに手慣れた感じで作っていく様子に僕は見惚れるしかできなかった。もちろん手際の良さでは絵里奈に及ばないけど、少なくとももう僕よりはよっぽど上手だと思う。
そうして出来上がったミートソースを僕が茹でたパスタにからめて、見た目にも美味しそうなミートスパゲッティがあっという間に出来上がった。それを持ってコタツの上に置くと、テレビの画面の向こうで絵里奈と玲那が僕たちを待ってくれてた。向こうもミートスパゲッティだった。
「いただきます」
四人でそう声を揃えて(声を出せない玲那はそう口を動かすだけだったけど)いただいた。
沙奈子の作る料理は、たまに失敗もあるけどそうじゃない時はちゃんと美味しかった。センスがいいと言うか、たぶん、丁寧にやるからだと思う。うっかりミスで調味料の分量を間違えたりすることはあっても、決して適当に作らないから安定して美味しいんじゃないかな。その辺りにこの子の性格が出てる気がする。
夕食の後はお風呂だ。すると今日はそんなにためらうことなく服を脱ぎだした。なるべく見ないようにはしてるけど、一緒に入る時に見えた沙奈子の頬はこれまでより赤くなってた気がした。恥ずかしさはやっぱりあるんだろうな。このまま恐怖が薄れていってくれれば、いつかは一人で入るようになるんだろうな。その時が来たら喜んであげたいと思った。それはこの子の成長の証だから。
お風呂の中ではなるべき意識しないようにして、これまで通りを心掛けた。恥ずかしさもあるはずなのに湯船に浸かるのは僕が入ってからためらうことなく入ってくる。この辺りのアンバランスさもそういう時期なんだろうなって思えた。
二人でとろけたお餅みたいになってリラックスして温まってから上がった。
それから後は、やっぱり莉奈の服作りをしてる沙奈子を膝に抱いて髪を乾かしながら寛いだ。テレビの画面の向こうでは絵里奈も人形の服作りをしながら沙奈子に指示を出してて、その横では玲那が僕とやり取りしてた。すると玲那が、
『いよいよフリマサイトへの出品始めるよ』
って。そうか、いよいよか。
『上手くいくといいね』という僕の返信に、『お父さんも祈っててよ』だって。もちろん僕も上手くいくことを願ってる。『もちろん祈ってるよ』と返すと、玲那も嬉しそうに笑ってた。
9時半くらいになって寝る用意をして沙奈子と二人で布団に横になって「学校はどうだった?」って聞いてみた。「楽しかった」って。それから「今日は千早ちゃんはどうだった?」って聞いてみると今日も「元気だった」って答えだった。
僕も山仁さんのところで少しは顔を合わせてるから、元気だったって言われるとすごく実感がある。僕が見てる部分だけじゃなくて学校での様子が気になるから聞いてみるんだけど、その時、沙奈子が僕を見て逆に聞いてきた。
「お父さん、千早ちゃんのこと気になるの…?」
そう言った彼女の顔は、これまであまり見たことのない感じだった。何とも言えない微妙な表情をしてる気がした。それでふと思った。
『もしかして、ヤキモチ妬いてる…?』
どうしてそう思ったのか自分でもよく分からないけど、最近、学校があった日には千早ちゃんのことを毎日聞いてたことに改めて気付いて、自分でもちょっと変に感じたからかも知れない。言われてみれば、千早ちゃんのことばっかり聞いてるなって。
これは失態だと思った。そうだよね。こんないつもいつも自分じゃない女の子のことを聞かれたら、さすがにいい気はしないだろって自分でも思ってしまった。沙奈子がヤキモチ妬いても当然だよ。
「ごめんごめん、千早ちゃんがって言うか、千早ちゃんのおうちのことが気になっててさ。千早ちゃんのお姉さんやお母さんが仲良くやれてるのかなって。それで千早ちゃんの様子でおうちのことが分かるかなと思って」
僕がそう答えると。沙奈子の顔がホッとした感じになった気がした。だからやっぱりヤキモチ妬いてたんだなって。
だけど、沙奈子がこうしてヤキモチ妬くなんて……。
でも僕はそれに気付いた時、なんだかちょっと嬉しかった。この子が、他人の顔色を窺って相手に合わせることばかりしてきた沙奈子が、そうやって自分の気持ちを表すようになってくれたのなら、それもやっぱりこの子が成長してる証だと思うから。
それにしても、これはやっぱり僕の失敗だって感じた。僕がなぜ千早ちゃんのことを聞くのかきちんと説明してなかったから、沙奈子が誤解してしまったんだって思う。僕の言葉が足りなかったせいでこの子に無用な心配をかけてしまった。申し訳ない。
そうだよな。ちゃんと言わないと伝わらないって僕は知ってたじゃないか。なのにそれを忘れてるんだから、情けないよ。必要なことはしっかり伝えなきゃ。言わなくても伝わるはずなんて、そんな都合のいい話は実際には滅多にないんだ。言わなきゃ伝わらないんだ。
自分がこういう失敗をしょっちゅうしてるんだから、この子が何か失敗してもそれは当たり前だと思う。そうやって失敗を繰り返しながら、それを経験として重ねながら、人間は成長していくんだ。沙奈子が悪気無く失敗した時には、それに目くじらを立てる必要もないよね。失敗ばかりの僕がそれを言えた義理じゃないんだし。
その上で、何かアドバイスができることがあれば言ってあげればいいんじゃないかな。一応は僕の方が人生経験も多いわけで。…って、多い、よね…?。沙奈子のこれまでの経験の密度から言うと、僕のなんてものすごく薄っぺらいような気がしてしまうけど、少なくとも時間については長いんだから。
まあいいか。その辺りの細かいことは。
「千早ちゃんも、お母さんやお姉さんとこんな風にして寝られたらいいのにね」
沙奈子の背中を軽くとんとんとしながら声を掛けると、沙奈子は「うん」って言いながら僕の胸に顔をうずめてきた。そして顔をうずめたままで擦り付けるみたいにして左右に動かした。感触を味わってるんだと思った。
「私も千早ちゃんのこと好き…。幸せになってほしい……」
呟くみたいにそうこぼしてきた言葉にも、この子の気持ちが込められてる気がした。
出会ったばかりに頃にはきつく当たられたはずなのに、沙奈子はそんな千早ちゃんのことも幸せになってほしいって言う。なんて大きな器を持った子なんだろう。僕はこの子のそういうところを大切にしたい。きっとそれがこの子をさらに成長させるはずだから。




