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僕に突然扶養家族ができた訳  作者: 太凡洋人
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三百十 千早編 「子供の言葉、子供の気持ち」

沙奈子が『恥じらい』というものを得たらしいことで、僕は彼女との距離感というものを改めて考える時期に来てるのかなと思ったりしていた。今後は気軽に抱き締めたりキスしたりっていうのも控えた方がいいのかもしれない。


なんてことを考えてたのに、沙奈子の方は今のところはまだそんなに劇的に変わったわけじゃなかった。これまでと同じように彼女の方から膝に座ってくるし、寝る時、仕事に行く時、お風呂の後、それぞれの挨拶のキスも沙奈子の方からしてくれた。だから僕も今すぐやめたりしなくていいんだろうなとは思った。だけどそれも、そんなに先のことじゃない気もする。


子供がいずれ親と距離を置くようになるのは自然なことだと思うから、そのこと自体はこの子の成長ということで喜んであげたいと思う。寂しいという気持ちがあるのは事実でも、これは幸せな寂しさなんじゃないかな


寝る時間になり、一緒に布団に横になると、沙奈子はいつも以上に僕に体を寄せてきた。


「お父さん…、お父さんは私とずっといっしょにいてくれるよね…?」


僕の胸に顔を押し付けたまま、彼女はそう聞いてきた。聞き分けがよすぎるくらい聞きわけがいいこの子がわざわざそういうことを口にする時は、不安を感じている時だっていうのが僕にも分かる。


「もちろんだよ。沙奈子が一緒にいたいと思ってくれるならずっと一緒にいる…」


以前にもやったやり取りだと思うけど、この子がそれを望むのなら何度でもちゃんとそれをする。ここしばらくは玲那のこともあったからか、たぶん、沙奈子も気を遣ってたんだろうなとも思った。それがようやく落ち着いてきて、素直になれたのかもしれない。


僕が軽く背中をとんとんしてると、彼女はゆっくりとまた口を開いた。


「わたし、大人になるのこわい…。大人の体になるのこわい…。今のままがいい…」


その言葉に、僕は「どうして…?」と、なるべく問い詰めるようなきつい聞き方にならないように意識しながら尋ねてみた。すると沙奈子は顔を上げて僕を見た。


「子供のままだったら、そしたらお父さんとずっといっしょにお風呂入ってられるから…」


彼女の言葉の意味を確かめるために、僕はまた柔らかくなるように意識しつつ問い掛けてみる。


「大人の体になると、お父さんと一緒にお風呂に入れなくなるから怖いの…?」


「……」


沙奈子は黙って頷いた。


そうか…。大人になること自体が不安と言うよりも、このまま体が成長していくと僕と一緒にお風呂に入れなくなることが怖いって感じなのかな。やっぱり恥ずかしさよりも一人でお風呂に入ることの怖さの方がまだ上なのか…。


改めてそれを実感して、僕は言った。


「大丈夫だよ。沙奈子が一緒に入りたいんなら、お父さんは平気だよ。だってほら、お母さんとも一緒に入ったし、お姉ちゃんとも一緒に入ったろ?。一緒に入りたいならそう言ってくれたらいつでも一緒に入れるよ」


僕の言葉に、沙奈子は「…あ…」と小さく声を上げた。何か納得いったような顔だった。


「そっか…、そうだよね…。大人になってもいっしょに入っていいんだよね…」


僕を見詰めながら確かめようとするかのようにそう言った彼女に、僕は自分がふわっと笑顔になるのを感じた。


「そうだよ。大人だからって一人でお風呂に入らなくちゃいけないっていうわけじゃないよ。確かにちょっと狭くなっちゃうけど、入れないことはないよ」


僕がそう言うと、沙奈子はホッとしたように安心した顔になった。そしてまた僕の胸に顔をうずめて、


「お父さん…大好き……」


って……。


それからすぐ、彼女は落ち着いた感じで寝息を立て始めた。安心したんだろうなって感じた。


たぶん、自分の体の変化に気付いてしまって、急にいろいろと考えてしまったんじゃないかな。それを恥ずかしいと思う気持ちと、でも一人でお風呂に入るのはまだ怖いっていう気持ちとの板挟みになってしまって、ちょっと心のバランスが崩れてしまったんだっていう気がした。それが本当かどうかはこの子にしか分からないことだとしても、取り敢えず僕にはそう見えた。だからそう言った。そしたらこの子が安心したように眠ってしまったのは事実だ。


これからもこういうことは何度もあると思う。特に思春期ってやつは心の成長と体の成長とが上手く合わなくてバランスを失いがちになるって聞く。沙奈子もそろそろそういう時期に入っていくんだろうな。なら、僕はこの子の不安とちゃんと向き合うだけだ。向き合えるように心掛けていくだけだ。


もちろん完璧にそういうことができるとは思わない。自分の心すら完全に制御できない僕に沙奈子の感情とか気持ちとかを上手く制御できるはずがない。だけど、だからって知らないふりをして、気付かないふりをしてただ時間が過ぎるのを待つだけなんていうのは嫌だ。それじゃ僕がこの子の傍にいる意味がない。この子の言葉に耳を傾ける意味がない。分からなくても、理解できなくても、沙奈子が言葉にしたいと思ったその気持ちを受け止めてあげたい。不安を受け止めてくれる誰かがいるっていうのは本当に大事なことだと、玲那の事件でも痛いほどに実感した。


だから……。


玲那の時の失敗は、もう繰り返したくない。不安があればそれをちゃんと言葉にできるように、打ち明けられるようにしてあげたい。この子の心にまで踏み込むつもりはないけど、言いたいことがあるならそれに耳を傾けてあげたい。言いたいことを飲み込んで、自分だけで抱え込んで、結果的に大きな過ちを犯してしまったりしたら何もかも失ってしまうことになるかもしれないから…。


そうだ…。波多野さんのお兄さんのことだってそうかも知れない。ご両親が、波多野さんの言葉にちゃんと耳を傾けていたら、ううん、それ以上に、お兄さんがぐつぐつと自分の中に溜め込んでいたもののやり場に困っていた時にちゃんとそれと向き合っていたら、波多野さんに乱暴しようとしたり、ましてや何の関係もない女性に乱暴したりしなくて済んだかもしれない。何一つ葛藤もなくいきなりそんなことをしたとも思えないし、実際、お兄さんは波多野さんに対して今回の事件に繋がるようなことをしてきたらしいし、波多野さんもそのことを何度もご両親に訴えたって言ってたもんな。


なのに、波多野さんのご両親はその言葉に対して耳を塞いでしまった。事件を防げる機会を自分で潰してしまった。それらは結果から遡ったことで分かったことだとしても、それを知ることは無駄にはならないはずなんだ。少なくとも僕は、絵里奈との間に男の子が生まれたとしたら、そのことを参考にして、自分の子供のそういう衝動ともちゃんと向き合いたいと思った。これは、事件の経験を活かしたっていうことになると思う。


親から見れば些細なこと、ただの甘えに見えることでも、すごく大事なことはあるんじゃないかな。


僕は改めてそう思ったのだった。




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