三百八 千早編 「セレリオンの猫っ子たち」
日曜日。今日も千早ちゃんたちは楽しそうにホットケーキを作ってた。その様子を見ながら、僕と玲那と星谷さんで話をしてた。
『千早ちゃんって、実は『セレリオンの猫っ子たち』が好きでしょ?』
玲那が星谷さんに向かってそうメッセージを送ってきた。
「分かりますか?。今、千早が一番ハマってるアニメだそうです」
それは、ある未開の惑星に不時着した『セレリオン』っていう宇宙船の中でたくましく生きる15匹の猫たちを描いたアニメらしかった。宇宙船の本来の主人である人間達は脱出したけど、食料も酸素もギリギリの状態での脱出だったから猫たちは連れていけなかったという、ちょっと悲しい設定らしい。
でも、そこに出てくる猫たちはすごく利口で活発でバイタリティに溢れてて、宇宙船に残された資材を活用して生活できるようにしたり、住むには適さないけど一時間だけなら何とか外にも出られるその星の環境を活かして食料の調達に出たりっていうサバイバルものなんだって。
ただ、猫って言っても出てくるキャラクターたちは擬人化されてて、下は小学校の低学年くらいから上は中学生くらいの子供たちが懸命に生きる姿が泣けるって玲那が言ってた。
僕も、その説明を聞いてるだけでも込み上げてくるものを感じてしまった。どうしても沙奈子とか千早ちゃんとか、昔の玲那のことを重ねてしまって…。
それを最近、大希くんの家でネット配信されてるのを三人で見てるってことだった。
もしかすると、千早ちゃんも自分の境遇にどこか被るものを感じて共感してるのかも知れない。特に、最初は他の猫たちとあまり仲が良くなくて孤立してたけど、実は誰よりも頑張り屋で、宇宙船の外での食料の確保を最初に成功させた『チャー』っていう女の子がお気に入りらしいと星谷さんが。
そう言われると、他の子とあまり仲が良くなかったとか、外での食料の確保とか、ちょっと千早ちゃんの状況とも被る気もする。しかも名前も何となく似てるし。
その『チャー』がみんなと打ち解けて仲良くなった後のシーンで、最初にチャーのことを認めてくれた女の子に頬ずりしながら『ふにふにのプニプニ~』とか言ってたのがあったんだって。って、それ、昨日の千早ちゃんのやってたこと?。
他にも千早ちゃんの言葉の端々に、そのアニメや他のアニメの中で出てくるセリフとかが混じってるっていう玲那の話に、ますます千早ちゃんがアニメを参考にして自分のキャラを作り上げていってるんだろうなっていう僕の直感がその通りだったって裏付けられた気もした。
大人はついつい『アニメなんて』ってバカにしてしまうかも知れなくても、そうやって自分が上手くやっていくために参考にしてる場合もあるんなら、決してバカにはできないんじゃないかな。しかも実際、千早ちゃんはそれで上手くいってるみたいだから。
しかしそこまで詳しいってことは、玲那もしっかり見てるんだろうなあ。って思ってたら、
『それからセレリオンっていうのは、正式名称は『セイル=エナ=ライオン』って言って、女性冒険家の名前からとったんだよ』
だって。ああ、これはばっちり見てるんだなあと。もしかしたら千早ちゃんより詳しいかも知れない。さすがだな。で、ホットケーキが焼き上がって、僕と星谷さんはまた冷凍パスタ、玲那はカップラーメンでみんなで一緒に食べる時、千早ちゃんと玲那で『セレリオンの猫っ子たち』談議で盛り上がってしまったのだった。
大希くんは辛うじてついていけてたし沙奈子もうんうんと頷いてたりしてたけど、僕と星谷さんは完全に蚊帳の外だったりした。なんか、すごいね、うん……。
でも、そうやって楽しく話ができるっていうのも大事か。玲那が千早ちゃんや大希くんと仲良くなってくれるのもありがたいし。
すると千早ちゃんが、
「チャーたち、みんな助かるのかな?。みんなちゃんと帰れるのかな…?」
って、不安そうに玲那に尋ねた。そんな千早ちゃんに玲那は、
『移民局のナガト長官が、チャーたちを助けるための救難船を送り込む大人の言い訳を考えてくれてるし、きっと大丈夫だよ』
と応えてた。そしたら千早ちゃんもホッとした感じで、
「だよねだよね、ナガト長官は、チャーのお母さんの飼い主だったもんね!」
って前のめりになって聞き返したり。
僕と星谷さんにはたぶん、半分も話の内容が理解できてなかったと思うけど、そのやり取りを見てるだけで何だか嬉しかった。
ちなみに、玲那はこの時、すでに話の結末を知ってたらしかった。それでなるべくネタバレにならないように、現時点での展開に推測を絡める感じで話したものの、実はそれが結末だったみたいだ。ただ僕も、子供たちが無事に助け出されるっていうラストだと知って、ホッとしてしまったけどね。まあ、子供向けでも何もおかしくないのに何故か深夜にやってるアニメだそうだから、ハッピーエンドになるのは最初から分かってるらしいけどさ。原作の小説もかなり児童文学寄りの作風だって後で玲那から聞いた。
昔の僕はすごく精神的に荒んでたからか、そういう都合よく終わる物語っていうのをバカにしてた気がする。そのせいか、アニメとかにも興味がほとんどなかった。だからヒーローものも本当は好きじゃなかった。ヒーローが強力な技や武器で悪人を力尽くで懲らしめていくのを鼻で笑ってた覚えがある。それでも両親が用意したプレゼントに不満があったのは、本当はヒーローの玩具が欲しかったわけじゃなくて、結局は兄との扱いの差が露骨すぎてそれが許せなかったんだろうな。
僕はアニメとかで救われた実感はなくても、玲那や千早ちゃんがそういう形でも救われるならそれを認めたいと思う。アニメだからってバカにしたりしないでおこうと思う。玲那や千早ちゃんが心の拠り所にしてるものなら、それはとても大切なもののはずだから。それをバカにするのは、他人が僕の家族を、沙奈子や絵里奈や玲那をバカにするのと同じだと感じるから。
他人からはどんなに無価値に見えても、それを大切だと思う人にとっては大切なんだ。その大切なもののために自分の生き方を律していけるなら、それはちゃんと価値があるものなんだ。僕はそう思いたい。絵里奈にとっての人形だってそういうことのはずだからね。
今回、アニメのことをきっかけにして、千早ちゃんと玲那の距離がすごく縮まった気がした。もしかしたら玲那の生き方は千早ちゃんの参考になるかもしれない。すでに千早ちゃんは沙奈子のことを目標にしてるらしいけど、それとは別に千早ちゃんに合ったやり方っていう意味では玲那の方が近い気もする。
こうやっていろいろなことを吸収しながら子供達は成長していくってことなのかなあ。




