三百二 千早編 「僕の望み」
『沙奈子ちゃん、最近、自分の体のことで気が付いたこととかない?』
家に帰ってから、僕がトイレで席を外してる間に、絵里奈が沙奈子に対してそう聞いてくれたみたいだった。その時点ではまだ沙奈子自身もピンときてなかったみたいだけど、こういう形で意識させておけば、そのうち気付いてくれるかも知れない。そうして気付いたらもう僕とは一緒にはお風呂に入ってくれなくなるかもしれなくても、それ自体がこの子の成長そのものなんだから、親としては喜んであげなきゃね。
お風呂が沸くまでの間に夕食を済ませて、僕がお風呂に入るために服を脱ぎ始めると、沙奈子も服を脱ぎ始めた。今日はまだ一緒に入るということなんだと思った。嫌がってるとかためらってるとかいう様子も全く見えない。当たり前みたいに堂々としてる。だから僕も気にしないようにする。
お風呂の中でもあのとろけたお餅みたいな姿を見せてくれた。自分の体のこととか意識してる様子もない。落ち着いてくれてるならそれが何よりだった。
それからまた沙奈子は、僕の膝に座って莉奈の服作りをして時間を過ごした。宿題はいつも山仁さんのところで千早ちゃんや大希くんと一緒に終わらせてくる。その時には星谷さんが見てくれてるらしい。事実上、家庭教師に見てもらってるのと同じかもしれない。星谷さんは大希くんの勉強を見るついでだとは言ってくれてるけど、頭が下がる思いだ。
だけどその星谷さんたちはもっとすごくて、学校で宿題を終わらせてから帰ってくるんだって言ってた。学校でってことは、休憩時間とかに済ましちゃうってことだよね。星谷さん、イチコさん、波多野さん、田上さんは四人とも茶道部だってことだから、部活もあるんだろう?。だけどその分、家に帰ってからは自由だとも言ってたな。
星谷さんは難関国立大を目指してて、イチコさんと田上さんは、おぼろげながら教師を目指して教育大への進学を考えてるそうだった。ただ波多野さんは、元々大学まで行って勉強したいとも思ってなかった上に家庭があんな状態だから、早く自立したいということで就職を目指すらしい。元々進学するつもりがなかったのならいいけど、もし、今回のことで諦めたんだとしたら、よその家のこととはいえすごく残念にも感じる。罪を犯すというのは、こうやって自分の家族の人生も滅茶苦茶にしてしまうんだなっていうのを改めて感じた。
玲那の場合はその家族が先に無茶苦茶してたわけで、正直、今さらって感じもあったみたいだけど。ただ、沙奈子に対して迷惑をかけてしまうことについては、すごく気にしてるのも分かった。執行猶予が明けるまでは別々に住むっていうのも、結局は、マスコミが取材に来たりネットに住所を晒されて嫌がらせされたりして沙奈子に迷惑がかかるのはイヤだっていうのが一番だそうだし。その点、絵里奈は大人だからそれなりに覚悟もしてるし、何より今の部屋だって、四人で一緒に暮らせる物件が見付かったら引き払うつもりにしてたから、引っ越しのために片付けも始めてたし、そのおかげで今回、玲那も割とスムーズに絵里奈の部屋に移れたんだし、万が一どこかに移ることになっても何も惜しくないっていうのもあった。
だけどその心配も、玲那の事件が過去のものになっていけばいくほどする必要がなくなっていくと思う。事件とか起こってほしくはないけど、玲那が判決後にメッセージを出しても、その後も次々と事件は起こってる。僕はそれが残念だった。どうしてあの子があんなに苦しんだことを役立ててくれないんだろうとも思った。あの子の辛い経験が、同じような事件を防ぐ役に立ってくれたならまだ救われるのにな…。
ああでも、そうか、もし実際にあの子の事件のことを知ったことで思いとどまった人がいたら、事件が起こらなかったわけだから表沙汰にならないのか。事件になってそれが公になるから世間に知られるわけで、事件そのものが起こらなかったらそういうことがあったことさえ誰にも知られることがないんだ。その方がいいんだ。
そう考えれば、役に立ってる可能性を考えるだけでも良しとしよう。騒ぎにならない。事件化しない。誰にも気付かれずに解決するのが一番いいんだってことで。
誰しもが物語の主人公としてみんなの注目を集めたいわけじゃない。僕はむしろ誰にも注目されずにひっそりと生きていたいだけだ。そこに沙奈子と絵里奈と玲那がいてくれればいい。そう思って生きてる。僕は、今で十分に満たされてる。喝采もいらない、賞賛もいらない、その辺を歩いてて知らない人に声をかけられるなんて考えただけでも面倒くさい。静かに、穏やかに、目立たずに生きていたいだけなんだ。
こういう生き方を消極的だとか向上心がないとか言う人もいると思う。だからそう思う人は自分の思う生き方をしてくれていい。だけどそれに僕たちを巻き込まないでほしい。静かに生きていたいだけの人間だっているんだ。それに誰もが目立とうとして注目を集めようとしてたら、逆に埋もれていくんじゃないかな。僕たちみたいに目立たない人間がいるから、そういう人が輝くわけで。
目立たない、輝かない人間が、そういうのを目指して失敗して諦めた人たちばかりっていうのも何か違うと思う。最初から目指すところが違ってて、目立たない生き方そのものを目指す人間がいてそこに辿り着いたのがいてもいいと思う。だから僕は自分の生き方を恥ずかしいとも後ろ向きだとも思わない。沙奈子と一緒に暮らしてきて、絵里奈や玲那と出会って、僕はいっそう実感した。これで満たされることは別に間違いじゃないって。玲那が事件で世間の注目を浴びてしまったことで、余計にそう思うようになった。
たとえ人気者の芸能人であってもそれを嫌う人がいて攻撃する人がいる。『消えろ』『見たくない』『いなくなれ』って罵声を浴びせる人がいる。目立つということはそういう人にも目をつけられるっていうことだ。僕はそういうのは望まない。沙奈子や絵里奈や玲那がそういうのにさらされるとか、想像もしたくない。だから誰からも知られてない、忘れられるっていうのはむしろ僕が望むあり方だ。
その中で、自分の手の届く範囲に大切な人がいてくれたら、これ以上の幸せはない。つまり僕は今、十分に幸せなんだ。辛いことや苦しいことがあるのも、何もかもが自分の思い通りにいかないのも人生というものだと思う。今の大変さも結局はそういうものだと思えば受け止められる。身近な誰かと支え合ってつつましく生きていく。それ以上のものは必要ない。
それは、山仁さんも同じだと感じてる。文筆業といっても有名な作家さんというわけでもないらしいし、今の生活が守れればそれで十分だって思ってるそうだった。誰かを傷付け苦しめるんじゃないければそれでいいんじゃないのかなって、僕は思ってるんだ。




