二百八十四 玲那編 「僕の大失敗」
山仁さんの家から帰る時、沙奈子が僕の持ってる大きな箱を不思議そうに見てた。
「あ、これ、新しいパソコンだよ。今のパソコンは沙奈子用にしようと思ってね」
ここで新しい方を沙奈子にプレゼントとか言えたら格好いいのかもしれないけど、うちはそれだけの余裕もないし、何より小学生の子に大した理由もなくノートPCを買い与えるっていうのも何か違うような気がして、僕のお下がりを使ってもらうのがいいのかなと思ってた。
でも、絵里奈が田上さんから聞いた話によると、星谷さんはこの前の大希くんの誕生日に高性能ノートPCをポンとプレゼントして、イチコさんや山仁さんを慌てさせたりしたらしい。だけど僕は星谷さんとは違うし彼女の真似なんてとてもできないのは分かってる。
それに大希くんも、そんなすごいパソコンをもらってもそのことを誰かに自慢したりとかはしてないらしい。誕生日プレゼントにパソコンをもらったという話は沙奈子にもしてたと後になって聞いたけど、ぜんぜん自慢とかする感じじゃなくて単純に嬉しかったって様子だけで、沙奈子もあんまり強く印象に残ってなかったみたいだった。
ただ、お父さんから高校合格のプレゼントとしてもらったというイチコさんのノートPCよりさらに高性能なものだったからか、イチコさんに対してだけは『すっごいだろ~、えっへん』とか言って自慢はしてたらしいけどね。でもそれを他人に対してやらないところがすごいと思う。
家に帰るとまずお風呂を沸かし始めて、それから夕食の用意を沙奈子と二人で始めた。新しいPCのセッティングは夕食の後ででもしよう。今日の夕食は、沙奈子は宅配のお惣菜をメインにして、そこに玉子焼きとプチトマトと煮干しを加えたものだった。僕がご飯をよそったり、お皿を用意したりプチトマトや煮干しを用意したりしてると、沙奈子は5年生とは思えないくらいに手際よく玉子焼きをを作ってた。間違いなく僕より上手だ。
他の用意が済んで沙奈子がもう一つの玉子焼きを作ってる間に、僕は古い方のノートPCとテレビをケーブルでつないで、テレビの方にビデオ通話の画面を表示させた。
「わ…!」
玉子焼きができてそれを持って振り向いた彼女が小さく声を上げた。テレビに絵里奈と玲那が大きく映ってるのに驚いて、でもすぐ嬉しそうな顔になった。
「すごい、ホントにお母さんとお姉ちゃんがいるみたい…!」
声も弾んでるのが分かった。
「沙奈子ちゃ~ん」
絵里奈と玲那が手を振ると、彼女も手を振った。すごく可愛らしい仕草だと思った。嬉しそうな様子も見られたし、これは正解だと思った。
テレビの画面越しで四人で「いただきます」をして、夕食を食べた。さすがの臨場感だった。ますます離れてることの寂しさが緩和されていくのを感じた。
夕食の後で、ノートPCのセッティングに入った。新しいPCを買ったことを絵里奈に報告すると、「え?」と少し驚いた顔はしたけど、元のノートPCがすでに性能的に辛くなってたことは知ってたし、買った値段も聞いたら「仕方ないですね」とは言ってくれた。でも、
「今度からはちゃんと前もって相談してくださいね」
と言われた時、僕は「…あ!?」ってなってた。そうだ…!、『家族の心得』…!?。
…やってしまった…!。仮にとは言えせっかく家族の心得を作ったっていうのに、家長である僕が率先してそれを破ってどうすんだ!?。
だぁ~……っっ!。大失敗だぁ…。
「ごめん、ホントごめん…!」
沙奈子に対しても絵里奈に対しても、もちろん玲那に対しても、僕は何度も頭を下げて平謝りするしかできなかった。玲那の件が一段落して少し気が緩んでたからって、これはダメだよなあ…。
そうだ。僕自身がこういう失敗をしてしまうんだから、沙奈子に対して偉そうにできないんだよ。僕が偉そうに命令しなくたってこの子は分かってくれる。だから悪気無く失敗してしまった時には丁寧に注意すればいいだけなんだ。
ちなみに今回の僕の失敗は、『普段と違う行動をする時はきちんと連絡をすること』と、『大切なことは、みんなで話し合って決めること』に触れるかな。近々新しいのが必要になることは絵里奈も分かってくれてたし、金額もそんなにすごいものじゃなかったから何とか事後承認という形で許してもらえたってことになった。でも玲那はすごく悪戯っぽくニヤァって笑ってた。
『お父さん、これでみんなに貸し一個ね』
ってメッセージが。うう…、返す言葉もございません……。
それから後は、新しいPCのセッティングが終わるまでの間に、玲那も含めて改めて『家族の心得』を確認した。
一つ、苦しいことや辛いことがあれば無理せずちゃんと打ち明けること。
一つ、判断に迷った時は自分一人だけで判断せず、誰かに相談すること。
一つ、何か気付いたことがあれば報告し、情報を共有すること。
一つ、お互いに、普段と違う行動をする時はきちんと連絡をすること。
一つ、大切なことは、みんなで話し合って決めること。ただし、それが家族の誰かを束縛するものだった場合は無効とし、再度話し合うこと。
最初にこれを考えた時は玲那は寝てたから仮だったけど、今度はちゃんと一緒に内容を確かめて、正式なものとした。これでもう、破ったら正式に『叱られる』ことになる。今回の僕の失敗は、玲那が言うように『貸し』ということになった。いわば『猶予』ってことかな。次やったら即アウトだよってことで。
破ったからといって何か具体的な罰とか決めてない。ただ、気持ちの上で負い目にはなると思う。自分たち自身のために自分たちで決めたのにそれを守らないなんて、それはすごく悲しいことだから。情けないことだから。
僕にとっても、今回の失敗は大きな負い目になると感じた。こんなことを次もやらかしたら、それこそ沙奈子に対して何も言えなくなってしまう。この子の親だって胸を張れなくなってしまう。それはやっぱり嫌だ。そういう心理的な痛みが、事実上の『罰』っていうことなのかな。
『家族を裏切ってしまったという負い目』そのものが罰になるのか。これは何より僕に効く。沙奈子や絵里奈や玲那に顔向けできないなんて、考えただけで眩暈がするよ。だから気を付けなくちゃ。
だけど同時に、もし、沙奈子がこのことを気にし過ぎて委縮してしまったり自分の気持ちを押し殺すようになってしまったら、それは逆に意味がないと思ってる。僕はこの子を縛り付けて支配したいわけじゃない。家族を支配したいわけじゃない。最後の一文の、『ただし、それが家族の誰かを束縛するものだった場合は無効とし、再度話し合うこと』というのはまさにそれを心配してのことだった。この『家族の心得』そのものが重荷になってしまったらダメなんだ。
だってこれは、家族が幸せでいるための心得なんだから。これのせいで幸せを感じられなくなったら本末転倒なんだから。




