二百七十一 玲那編 「ケースバイケース」
久しぶりに沙奈子と一緒にお風呂に入った。もう5年生なんだから一人で入った方がいいんじゃないかと思いつつ、この子がそれを望むならとも思った。せっかく絵里奈や玲那と一緒に入れるようになったのにまたそれが無くなってしまったんだから、寂しくて当然だとも思った。
以前と同じように頭を洗ってあげて、沙奈子には背中を洗ってもらって、一緒にお湯に浸かった。久しぶりの感じに、体が湯に溶けてしまうみたいな感じさえした。
ただ、正直言うと少し心配もあった。絵里奈に対してはちゃんと女性として意識できるようになったこともあって、もしかしたら沙奈子のこともそういう目で見てしまったりしないかと不安だったりもしたけど、まるでそんなものはなかった。僕にとって沙奈子はあくまで娘だっていう感覚しかなかった。何度もおねしょの後始末をしたことが思い起こされて、それがまるで赤ちゃんの時にオムツを替えてあげてたみたいにも思えた。
親にとって子供はいつまでも子供だって言うけど、これもそういうのかもしれないって気がした。成長したって僕にとって沙奈子はいつまで経っても子供なんだろうなって。
でも、それでいいと思った。子供扱いして見下すのは良くないと思う。でも、そういうのじゃなくて、家族としてっていう意味ではやっぱり親と子なんだ。
それに、彼氏とかできたらさすがに一人で入るだろうからね。もしくは、第二次性徴が始まったらかな。少し遅れ気味かも知れなくても、いずれはそういうのも始まるはずだ。初潮だっていつあってもおかしくないと思う。
なんて、沙奈子と二人だけだった頃に考えてたことが次々と蘇ってくるのを感じて、僕は思わず苦笑いしてたのだった。
お風呂から上がって部屋着に着替えて何気なくスマホに視線を向けると、ビデオ通話の画面に裸の女性の姿がよぎった。すぐに分かった。玲那だ。もう、何やってるんだか…。
と思ってたら画面越しに目が合って、『てへへ』って感じで笑いながら頭を掻いてるのが見えた。絵里奈はたぶんお風呂に入ってるんだろう。でも今は、うるさく言わないでおこう。久しぶりの開放感を満喫してるところだろうからね。
ああでも、こういうのってハッキングとか盗聴とかも心配した方がいいんだったよな。だからお風呂に入ったり出たりする様子が見えないように向きを考えてたのを思い出した。実際、ハッキングでPCのカメラとかが悪用されて部屋の中を盗撮されたりっていう被害があったとも聞いたことがある。そこで玲那にも、
「玲那、寛ぎたいのは分かるけど、このビデオ通話、もしハッキングとかされてたら大変だよ。気を付けてね」
とは言った。すると彼女も、『あっ!』って顔をして画面からいなくなった。服を着ようとしたんだろうな。
なんかこういうやり取りも、あの子が戻ってきたんだなっていう実感そのものって気がした。部屋は別々でも、こうしてればすごく身近に感じられる。これなら三年間ぐらい我慢できそうだって思えた。
「お姉ちゃん、またはだかんぼだったね」
沙奈子が僕を見上げながらそう言った。僕は「そうだね」と苦笑いで返してた。
僕と沙奈子はコタツに入ってドライヤーで頭を乾かした。四月に入っても夜はまだけっこう寒かった。何だかんだで五月くらいまではコタツも片付けられないんだよな。いつも。するとジャージを着た玲那がまた画面の向こうに現れた。沙奈子は宿題をしてた。ドアの郵便受けに宿題のプリントが入った封筒が入れられてた。たぶん、大希くんか千早ちゃんが持ってきてくれたんだろうな。
『沙奈子ちゃん、宿題?。頑張ってね』
玲那からのテキストメッセージが表示されて、「うん」と沙奈子が画面に向かって頷いた。
この子もすっかり慣れた感じだな。
そうこうしてるうちに絵里奈も画面の向こうに戻ってきて、二人で沙奈子の宿題を見てくれてる感じになった。僕は改めて、新しい日常がこういう風に展開していくんだろうなと考えてた。
宿題も終わって、10時前になって、そろそろ寝る時間になった。布団を一組だけ敷いて、スマホの画面越しに絵里奈と玲那がキスをする仕草をしてくれた。沙奈子もそれに応えて、画面に向かってキスをする仕草をしてみせる。
『おやすみ』
『おやすみ~、沙奈子ちゃん』
「おやすみなさい」
「おやすみ」
最後にそう挨拶を交わして、ビデオ通話を終了させた。それから二人で布団にもぐって、彼女の額に『おやすみ』キスをした。彼女も僕の頬に『おかえしのキス』をしてくれて、僕にぴったりと寄り添って目を瞑った。さすがに相当疲れてたんだろう。すぐに寝息を立て始めた。
明日は金曜日で僕は仕事だけど、沙奈子は日曜日まで休みだ。だから明日はまた、山仁さんのところで預かってもらうことになる。残業がないから僕が迎えに行けばいいってことになったのは皮肉な話だった。
そうだ。今日はもう夜も遅かったから電話もやめておいたけど、裁判のこととか玲那が釈放されたこととかも報告に行かなくちゃ。
本当に、本当に、お世話になりっぱなしだったな…。
だけど、玲那のことはこれで一段落付いたけど、波多野さんのところはまだ正式にどういう扱いになるかすら決まってないらしかった。波多野さんのお兄さんが容疑を否認し始めてもめてるらしい。
『誘われて行っただけだ。合意の上だった』
とか言い出したってことだった。
それでなくても家裁で処理するかそれとも大人と同じように普通に刑事裁判するかでいろいろ審議しなきゃいけないところなのに、容疑そのものを否認し始めたからそれすらストップしてるって言ってた。
『あたし、ほんっとにもう情けない…!。マジでマジでぶっ殺してやりたいよ…!』
前回、山仁さんのところに集まった時に波多野さんはそう怒りをあらわにしてた。ぶっ殺すっていうのはともかく、自分の罪を受け入れてスムーズに進んだ玲那とはあまりに対照的で、気持ちが高ぶってしまうのは無理ないって気もした。しかも、ご両親の仲も修復不可能って感じで拗れてて、お母さんは家を出て行ってしまったらしい。
それだけじゃない。一番上のお兄さんも、結婚の約束をしてた女性がいたらしいのが、女性の方の家族が猛反対し始めて結局は別れることになったって。それで一番上のお兄さんも家族からの電話にも出なくなったって…。
もう、家族がバラバラになってしまった感じらしかった。
うちはその点、すごく運が良かったのかな。玲那の実のお父さんがあまりに酷いことをしてたことが暴かれて、マスコミの論調としては玲那に同情的になってたらしいし、何より玲那自身がちゃんと自分の罪と向き合う姿勢を見せてたから、裁判官の人からも裁判員の人からも温かい目で見てもらえた気がする。
あんなに大変だと思ってたのに、うちはまだものすごくマシだったんだなっていうのを感じたのだった。




