二百六十七 玲那編 「情状証人」
玲那の実のお父さんは、見た目通りの弱々しい声で、自分は奥さんを亡くしてその葬儀中に実の娘に殺されそうになった哀れな被害者だということを切々と語った。
でも、彼自身が重大な過失で奥さんを死なせた張本人であるという報道が、しかもそれだけじゃなくて、売春グループを作って僅か10歳だった実の娘にまで売春をさせてたというのを始めとした数々の疑惑がすでに報じられてたこともあり、その場にはどこか白けたような空気が漂ってたのだった。
さらに、本来なら玲那のことを責め立てる側のはずの検察が、実のお父さんが玲那に対して何をやったのかっていうのを、当時、売春グループの仲間だった人たちからの証言として次々説明し、その上、またかつてのそれと同じような小学生の女の子まで使った売春グループを作ろうとしていることを玲那が知ったためにあの子が今回の事件を起こしたと、それが動機であると訴えたりもしてた。
皮肉なことに、それは、検察側が玲那が強固な意志でもって犯行に至ったということを述懐するためのものだったから、誰もそれを止めさせようとも反論しようともしなかった。すでに事実を認めて罪を受けとめようとしてる玲那の側からも反論する必要が全く無いものだった。玲那の弁護士である佐々本さんも、当然、一切口を挟んだりしなかった。むしろ弁護のために述べようとしてたことを補足してくれるものでしかなかったと言ってもいいくらいだった。
だから裁判そのものは非常に淡々とした感じで順調に進んでいった。途中、佐々本さんが、玲那がどんな目に遭わされてきたのかっていうのを改めて丁寧に説明すると、裁判員の人の中には涙ぐんでる人さえいた。
そして、弁護側の情状証人として一人の女性が入廷してきた。小柄で、玲那よりも若そうな、下手をしたら二十歳くらいにも見えそうな女性だった。だけどその、保木仁美さんという女性は、玲那の実のお父さんが作ったという売春グループに所属して、売春していたという人だった。しかも、当時のあの子のことを直接知る数少ない人でもあった。
「ではあなたは、山下玲那さん、当時は伊藤玲那さんだった被告に直接会ったことがあるということですね?」
佐々本さんにそう問われて、保木仁美さんは「はい」とはっきりと頷いた。その上で、
「では、当時10歳だった被告が売春をさせられていたということもご存知だったわけですか?」
という質問にも、「はい」と明確に答えてくれた。そして保木さん自身も当時はまだ中学生だったということだった。その頃の玲那の様子を生々しく語ることにも驚いたけれど、あの子よりも年下に見えた保木さんが年上だったことにも驚かされていた。
保木さんは語った。
「あの頃の私は、高圧的で支配的だった両親への反発から荒んだ生活をしていました…。家に帰らず男性の家を渡り歩いているような状態でした…。そんな中で仲間だった女性を介して彼女のお父さんと知り合い、スカウトされる形でグループに加わりました。確実に安全なお客を見付けてくれるから、その時は助かってました…」
静かな落ち着いた口調からは想像も出来ないような内容に、法廷そのものが重苦しい雰囲気になってた気もする。
それどころか、
「私は昔から童顔で幼く見られてましたから、当時は小学生としてお客を取ってました。玲那さんに次ぐ人気だったと思います…」
とまで…。
「それでは、当時の伊藤玲那さんはお客を取らされることをどう感じていたのかは分かりますか?」
けれど、普通なら口に出すこともはばかれるようなことを、佐々本さんははっきりと問い掛けた。もちろんそれは玲那のためだっていうのは分かってる。でも、僕にとっては正直、耳を塞ぎたくなるような質問だった。なのに、当の玲那はと見ると、真っ直ぐに前を向いて唇を真一文字に結んだまま身動き一つしなかった。改めてあの子の覚悟を見た気がした。
保木さんはそんな玲那の方には視線を向けることなく、やっぱり淡々と語るだけだった。
「一応、小学生チームとして一緒に行動することは時々ありましたけど、彼女はいつも暗い顔をしてました。泣いてることも何度もありました。嫌々やらされてるんだろうなと思ってました…」
もう、頭がおかしくなりそうだった。沙奈子を連れてきてしまったことを後悔もした。どうして連れてこようと思ってしまったのか、自分自身に怒りを覚えそうにもなった。だけど沙奈子は、言ってることの意味が分かってるのかいないのか分からないくらい、無表情で黙って聞いてたのだった。無表情でいて、でも目を逸らすことなく玲那のことを見詰めてた。それを見て、この子はこの子で玲那のことをちゃんと見届けたいと思ってる気がした。この子も本当に強い子だと感じた。
僕がそんなことを頭の中で巡らせてると、最後に保木さんは言った。
「あの頃の私は、自分のことだけで精一杯で、玲那さんが嫌々やらされてるってことを感じながらも何もしてあげることができませんでした。だから、その罪滅ぼしというわけではないですが、せめて今の私にできることをと思って、今回、証言させてもらうことにしたんです…」
その言葉を聞いて、僕も腑に落ちるものを感じた。保木さんにしてみれば本来は誰にも知られたくないであろう過去の過ちを今さら語るなんて何のメリットがあるんだろうと思ったけど、最後の言葉が本心だとしたら納得できる気もした。彼女ももしかしたらずっとそのことを後悔していたのかもしれない。その後悔をようやく改める機会が得られたということのような気もした。
保木さんは、僕から見れば背中を向けてたからその表情までは分からない。でも、両手は固く握りしめられて、すごく力が込められてるようにも見えた。
たとえ自分の後悔が理由だとしても、玲那のためにそこまでしてくれることに、僕は本当に頭が下がる思いだった。なんてお礼を言えばいいのか分からないと感じた。確かにその当時に玲那を助けてくれてれば良かったとも思う。だけど保木さん自身がまだ中学生だったんだから、本来なら大人が守るべき存在だったはずだ。そんな子供達をそういう形で利用する大人こそが責められなきゃいけないはずなんだ。
無理矢理やらされてた玲那と、親への反発からとはいえ自分で選んでそういうことをしてた保木さんとはまた立場が違うのかもしれない。でも僕は、彼女を責める気にはなれなかった。子供のそういう過ちを諭して改めさせるのも大人の役目ってもんじゃないのか。子供の過ちを利用して自分の欲望を満たそうとする大人こそ愚かだと、過ちを犯した子供以上に幼稚で考え無しだと思わずにはいられないのだった。




