二千五百八十三 沙奈子編 「しにくい話に臨む」
『こうやって自分の父親と生理について普通に話ができる女の子っていうのもそんなにたくさんはいないかもね。だったらみんな同じにできるわけじゃないっていう証拠じゃないかな』
『確かに』
自分の娘と、自分の父親と、こんなやり取りが何気なくできる父娘が、世の中にはどれだけいるのかな。変に気負って、それこそ『覚悟を決めて』『一大決心をして』しにくい話に臨むんじゃなくて、ごくごく当たり前の世間話的に自然とできるなんて。
女性とか男性とかってだけじゃなくて、『人間として』相手を認めればこそ、逆にお互いの違いについても冷静に、と言うか自然なこととして受け止められると思うんだけどな。
『女性と男性は違う!』
なんて変に力の入った考え方をするから無駄に身構えてしまうだけのような気がするんだ。
女性だ男性だという以前に、
『自分と自分以外の人は決して同じじゃない』
という大前提があるよね?。性別で分けたって、その性別の中でもそれぞれぜんぜん違ってたりするよね?。
『男性だから仕事をして家族を養っていくのが当たり前』
『女性だから子供を産んで家を守っていくのが当たり前』
そんな言い方されたら、
『そんなわけあるか!』
って思ったりするんだよね?。
僕だって、自分が楽しいから、そうしたいから、自分で玲緒奈を育てていこうと思えてるんだ。女性とか男性とかいう以前に『僕だから』そう思うんだよ。それを、性別という乱暴な二元論で語られたくないのは確かなんだ。
だからこそ、沙奈子が女性だという事実は認めた上で、それ以上に沙奈子は『僕じゃない人』だという事実を認めるからこそ、『僕とは違う部分』についても『あって当たり前のこと』としてただ受け止めるだけなんだよ。
『月経』のことだってそういうものの一つでしかない。『月経の影響で気分や体調が変わってしまう』ことがあるのも、『そういうものだ』としか思わない。僕がそれを当たり前のこととして身構えることなく受け止めてるから、沙奈子の方も変に意識して『生理の時はこうだから!』って考えなくて済んでるんだと思う。これは、絵里奈や玲那もだ。
でも、このニュアンスも、理解できない人はいるよね?。
『何を言ってるんだ?』
と感じる人もいるよね?。それもまた事実だよ。だけど、それが理解できない人は理解できない人同士で力を合わせて生きていけばいいと僕は考えてる。
ただ、『自分と相手がそもそも違う』というのを認められない人が誰かと力を合わせて生きていけるのかどうかは、分からないけどね。




