二千五百六十八 沙奈子編 「自分は親とは違う」
思い出す。
僕が沙奈子を見捨てられなかった原因の一つに、
『仕事帰りにいつも通る公園で、明らかに大変な事情を抱えてるのが分かる子供を見掛けた』
というのがあったのを。
一見しただけでも酷く痩せてて着ているものも汚れてるのが分かる子供だった。
だけどその子のことはそれ以降は見てないし、児童相談所の相談員の塚崎さんも、その子のことは把握できてないということだった。目撃情報は何件か入ってるのに、児童相談所の職員の誰も姿を確認できてなくて、目撃情報以外には該当しそうな情報も入ってなくて。
だけど、それこそ人知れず苦しんでる事例だってあるだろうから気になってたんだけど、いつの間にか思い出さなくなってたな。当時はあんなに引っかかってたのに。
そういうところでも、僕は自分を『善人』とか『聖人』とか思わないし思えないんだ。あんなに大変な事情を抱えてそうな子のことさえ忘れてしまえるんだから。
僕にできるのはあくまで沙奈子を受け止めることだけだと思い知らされる。でもだからこそ自分にできることはしたいし、しなくちゃとも思えるんだ。
あの頃は沙奈子を受け止めるだけだったけど、今は玲緒奈のことも受け止められるようになった。まさか自分が実の子供を育てるだなんて、以前は考えもしなかったのにね。
そういう意味じゃ僕も成長してるんだろうな。大人だって成長するんだよ。
ううん。人間はいくつになっても成長できるんだと思う。自分の経験を基にしてね。必要なのは、本人がそれを意識するか否か。結局はそれに尽きる気がする。
だからこそ僕は沙奈子や玲緒奈を受け止められる自分でいたいし、そうなれるように心掛けるんだ。
『大人だからって成長しなくていい』
とは考えない。
だって人間はきっと、『完璧』にはなれないから。完璧じゃないということは、それだけ成長の余地があるということだと思うから。
そして、親自身が成長する姿を実際に子供に対して見せられるということだと思うから。未来の自分は過去の自分よりも前に進めると示せると思うから。
具体的なそれを示してもらえてこそ、子供も、
『自分だって成長できるかもしれない。変われるかもしれない』
と感じられるようになると思うから。
不安だよね。
『このままずっと自分は何も変われないかもしれない』
と思ってしまうのは。だけど、『そうじゃないんだよ』と親が示してくれると、少しは安心できるんじゃないかな。
『自分は親とは違う』
みたいに思ってしまう時もあるかもだけど、それも含めて『経験』だよね。




