二千五百三十六 沙奈子編 「人間の心理」
『それはまあ俺もそう思うけど、言い方ってもんが』
自分の母親について『ぶっ殺してやりたいと思う』と口にした結人くんに対してそう言った一真くんだけど、これはあくまで琴美ちゃんの前でそういう言い方をされる点について彼女の兄としての意見であって、でも同時に『俺もそう思うけど』という一言が添えられているのが実は重要なんだと思う。
結人くんの『ぶっ殺してやりたいと思う』という気持ちそのものについては否定するどころか『自分も同じ』と言ってるわけだからね。
一真くんと琴美ちゃんは、結人くんのように直接殺されかけたわけじゃないけど、それでも『ぶっ殺してやりたい』という気持ちは抱いてしまってるんだ。
人間の心というのは、そういうものなんだと思う。
『殺されそうになったわけでもないのに、殺してやりたいと考えてしまう』
というね。
だって、怨恨による殺人事件とかを見ても、そうだよね?。別に殺されそうになったというほどでもない『嫌なこと』『つらいこと』を理由にして、命まで奪ってしまったんだから。自分がされたこと以上の『仕返し』を望んでしまうのも、人間という生き物だと思う。
一真くんの発言は、まさにその証拠だよね。
でも同時に、琴美ちゃんに対しては、
『殺してやりたい。みたいな物騒な考え方に触れさせたくない』
という気持ちも表れてるんじゃないかな。
だからつい、そう言ってしまった。その複雑さがまさしく『人間の心理』なんだと感じるんだよ。
そう考えれば、決まりきった一律の対応でなんでも上手くいくわけじゃないのも、分かるんじゃないかな。
そして結人くんも、琴美ちゃんの前で物騒な物言いをしてしまった点については、
「そうだな。悪りい」
と謝ってくれた。その上で、
「琴美は、俺みたいにならなくていいからな」
って言いながら彼女の頭を撫でてくれた。
もちろん、物騒なことを口にする姿を見せておいて『俺みたいにならなくていいからな』なんてムシのいい話には違いないんだけど、
『この子には自分のようになってほしくない』
という気持ちが結人くん自身にあることも伝わってくる。決して、
『親にムカついてるんなら、ぶっ殺してやればいいじゃん』
みたいなことを言いたいわけじゃないんだ。それもまた、彼の本心なんだろうな。
そういった複雑な人間としての姿を、琴美ちゃんの前で示してる。それが琴美ちゃんにとっては『手本』になると思う。
『ただ綺麗事だけを信じてそれに縋って実践していこうとすれば人間として生きられるわけじゃない』
という手本にね。




