二千五百三十五 沙奈子編 「恩知らずの鬼畜」
『ぶっ殺してやりたくなるけどな』
まだ小さい琴美ちゃんの前でそんなことを口にするのは、本当はよくないことだと僕も思ってる。できれば避けた方がいいんだろうなって。
でも、結人くんが口にするそれは、彼自身の本音であり本心であり彼の『望み』であると同時に、
『言葉そのものの強さとは裏腹に、そこまで不穏なものは感じさせない』
のも事実だった。つまり今の結人くんは、『自分を殺しかけた実の母親を殺してやりたい』という本心についてそれだけ昇華できてきてるってことだろうと思うんだ。完全に消し去ってしまうことはできなくても、『軽口』にできてしまう程度にはね。
琴美ちゃんも、今はまだ幼いからそこまで具体的に両親に対する気持ちについては明確なものにはなっていないとしても、
「それはまあ俺もそう思うけど、言い方ってもんが」
苦笑いを浮かべつつ結人くんに対して言った一真くんと同じく、いずれは不穏な願望として出来上がっていくんだろうなとは感じる。
『そんな風に考えるのはよくない』
みたいに、詳しい事情を知らない無責任な他人は言ってくるんだろうけど、そんなのは当事者じゃないからこそ言えてしまうことだというのも間違いないんじゃないかな。
僕だって、自分の両親に対する不穏な感情というのは今でも確かにあるんだ。すでに亡くなってるからどうしようもないというだけで、もしまだ生きていて、そして許されるのなら、『意趣返し』の一つでもやりたいというのは間違いなくあるんだよ。自分がそうなのに、結人くんや一真くんに対して、そして琴美ちゃんに対して、『そんな風に考えるのはよくない』なんて言えないよ。
もちろん僕は、『復讐』については否定的な立場をとってる。それを推奨することはしないし、推奨する人に対しては忸怩たる思いもある。でもね、
『復讐を望んでしまう気持ち』
そのものについては否定してるわけじゃないんだ。あくまでも、
『現実の復讐劇がなにをもたらすか?』
というのを考えてしまうだけで。玲那の事件で、
『現実の復讐劇がもたらすもの』
を実際に確認してしまったからこそ、肯定的に考えられないというだけで。
復讐劇をもてはやす人は多いけど、それは所詮、無責任で無関係な立場だからこそのものだよね。『神の視点』を持って、状況の全体を捉えられればこそのものだと痛感する。なにしろ玲那の事件の時は、彼女がどんな目に遭ってきたかを具体的に知らない人が、ううん、断片的には知ってたとしても、
『どうせ本人も楽しんでたんだろ』
『本気で嫌だったんなら逃げだしてたはずだ』
みたいに考えてるような人が、玲那を、
『実の母親の葬儀の場で実の父親を殺そうとする恩知らずの鬼畜』
と攻撃してたんだからね。




