二千五百二十七 沙奈子編 「一部分だけの印象」
絵里奈がいまだに僕に対しても畏まった敬語を使っていることについても、あれこれ言う人はいるだろうな。
だけど絵里奈は別に本当に他人行儀なわけじゃないんだ。僕に対してはすごく気を許してくれていて、油断している姿だって見せてくれている。
それを、『他人行儀な敬語のまま』という一面だけを見て、
『本当は気を許してない』
みたいに解釈する人はいると思う。
と言うか、『他人の評価』なんて、結局はその人の一面だけを切り取ったものでしかないんじゃないのかな。
たとえば、人知れず真面目に努力を続けてきたからこそ成功を収めた人について、
『どうせ運がよかっただけ』
『ごり押しで価値を盛られただけ』
『だから薄っぺらで中身がない』
みたいな言い方をされたりすることもあるんじゃないのかな。
沙奈子だって、学校では、
『お高くとまってる』
『他人を見下してる』
『周りを馬鹿にしてる』
みたいに言ってる生徒もいたりするそうだ。そういう生徒らにとっては『そう見える』のかもしれなくても、それは沙奈子の実際の姿じゃないんだ。彼女は『お高くとまってる』わけじゃなくて、過酷な経験の影響で表情が上手く作れなくなってるだけなんだよ。
なのに無責任な他人は、そういう事情さえ知ろうとせずに、自分が見た一部分だけの印象でそう決めつけてしまう。
もし、将来、沙奈子がデザイナーとして表舞台に立つようなことがあったとしても、きっと、
『親のコネで人気を得ただけの、甘やかされて育ったお飾り』
的に言う人もいるんだと思う。
実際の沙奈子のことを知っていればそんな言葉が出てくるはずもないと思うけど、自分にとって都合の悪い面は見ない見ようとしない人たちは、そんな自分自身の行いについてすら見ないんだろな。
でも、僕は知っている。絵里奈の僕に対する言葉遣いがいくら他人行儀なままでも、そこは別に絵里奈の本質というわけじゃない。確かに『器用なタイプじゃない』という意味じゃその通りなんだろうけど、そういうのもあって上手く言葉遣いを切り替えていけなかったんだろうけど、それはあくまで彼女のごくごく表面的な一部分にしか過ぎないんだ。
だからこそ僕は、誰かの一面だけを見て分かった気になって一方的に評価することは避けようと思う。沙奈子や玲緒奈の前でそんな振る舞いはしないでおこうと思う。しちゃいけないと思う。
そんなことをする人が、沙奈子の本当の姿も見ないで勝手に決めつけて、『批判』と称して罵詈雑言を並べたりするんだろうな。




