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僕に突然扶養家族ができた訳  作者: 太凡洋人
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二百五十一 玲那編 「玲那…」

「すいません。僕としては無罪主張はしない方向でと思ってるんです」


僕は佐々本ささもとさんに向かってそう言った。僕の言葉に、佐々本さんは少し困ったような表情で応えた。


「山下さん。加害者が無罪主張を行うことに対して世間が良いイメージを抱いてないことは私も把握しています。しかし、これは玲那さん自身が持ってらっしゃる当然の権利なんです。


無罪を勝ち取り前科が付くことを回避するのと、有罪となり前科がついてしまうのとではその後の社会復帰にも非常に大きな差が出てしまいます。残念なことですがこれが社会の現実なんです。ましてや玲那さんの場合には事情が事情ですので、無罪を勝ち取れる可能性もあるんです。それをみすみす逃して良いのですか?」


たぶん、佐々本さんの言ってることはもっともなんだと思う。だけど僕はどうしても玲那が心神耗弱だったとかそういう話にはしたくなかった。自分でいろいろ考えてそして自分の意思で選択したあの子を、そんな風に思いたくなかった。


だけど、佐々本さんが言った、前科が付くのと付かないのとでは大きく違うというのも分かる気がする。あの子が前科持ちだなんていうのは出来ることなら避けてあげたかった。


でも…、でも……。


「でも、僕としては罪は罪として受け止めるべきだと思ってます。それにあの子は心神耗弱なんかじゃありません。自分の意思で実家に行ったんです。あの子の頭がおかしかったみたいなのは、納得できないんです」


はっきりとそう言った僕に、佐々本さんも引き下がらなかった。


「山下さん。あなたのおっしゃることはとても立派で勇気があると思います。けれど私は弁護士として、多くの事例を間近で見てきた者として、あなたの考えは理想論に過ぎると敢えて言わせていただきます。前科を持った人の社会復帰はそんなに甘くはありませんよ」


それは、専門家としての意見だと感じた。実際に多くの実例を見てきたんだと思った。だけど僕は『それでも』って言いたかった。なのに…。


「…分かりました。最終的な方針は玲那自身の判断に任せます。それが当然ですよね。あの子が弁護してもらうんですから……」


と、僕は折れてしまったのだった。そこで自分の意見を押し通せないことが情けなかった。


でも考えてみたら、自分でも言った通りこれは玲那の事件なんだから、玲那自身が決めなきゃいけないことだった。あの子の決めたことを受けとめるのが僕の役目だった。それなのに何だか妙に入れ込んでしまって、僕が決めることだと勘違いしてた気もする。後からそのことに気付いて、しばらく思い出す度に身悶えることになってしまったのだった。




それにしても弁護士さんはさすがに専門家だからか、僕が少しくらい反論してもぜんぜんびくともしなかった。それを感じて引いてしまったんだと思う。けど、これくらいでないと弁護なんてやってられないのかなとも思った。加害者の弁護をする時なんて、それこそものすごい批判が集まるだろうからなあ。


僕と佐々本さんの話し合いを、絵里奈ははらはらした感じで見守っていた。その絵里奈の背中を、塚崎さんが撫でてくれてた。沙奈子はと言えば、すごく無表情な感じでただ見てただけだった。言ってる内容が理解出来てないのか、それともある程度は理解した上でそうしてたのかは分からないけど…。


それでも塚崎さんが言ってくれた。


「私が思ってたよりは沙奈子さんも落ち着いてらっしゃるようで良かったです。とても気丈なお子さんです。でもだからこそ慎重に見守らないといけないと思いました」


それから僕の方に改めて向き直って、


「山下さん。これからもっと大変になってくるかも知れませんが、私も微力ながら協力させていただきます。これは、相談員の仕事としてだけでなく、私個人の気持ちなんです。せっかく幸せを掴んだ沙奈子さんが苦しむ姿を見たくはありません。児童相談所の方も疎かにはできませんが、可能な限り力にならせていただきたいと思います」


と、深々と頭を下げてくれたのだった。僕は恐縮してしまって、「ありがとうございます」と言いながらさらに深く頭を下げてしまった。


とりあえず、この日はそんな感じでこれからもそれぞれの役目を頑張ろうみたいな流れで話は終わり、佐々本さんと塚崎さんは帰っていった。


三人だけになって、絵里奈がしみじみと言葉を漏らした。


「本当に、私たちだけではどうにもできない事ばっかりですね…」


確かにその通りだと思った。僕は自分がどれだけ無知で無力だったか思い知らされていた。打ちのめされてたって言ってもいいかも知れない。まったく、よくこれで今までやってこれたなと苦笑いさえ漏れてしまった。


つくづく人間って一人では何もできない生き物なんだなあって思った。


何も起こらずに平穏なだけなら一人でも何とかなっても、一たび大きな事件にでも巻き込まれたら途端に流れに揉まれて溺れるしかできないんだなって気もした。


いつか僕も、誰かの力になってあげられるようになりたいと素直に思えた。こんなにたくさんの人に助けてもらったんだから、そうしないと僕自身が恥ずかしい。自分を許せない。それがいつなるかは分からないけどさ。


だけどこれで、玲那を守るための準備は大体整ったんじゃないかな。後はあの子が目覚めてくれるのを待つだけだ。




…けれど、玲那はなかなか目を覚ましてくれなかった。


月曜日、火曜日、水曜日、木曜日、そして金曜日。


絵里奈がとうとう「もう無理です…。ごめんなさい……」と言って退職を決めても、玲那は起きてくれなかった。


沙奈子と絵里奈が毎日お見舞いに行って、すごく血色も良くて穏やかそうに寝てるだけに見えるのに、何故か目を覚ましてくれなかった。


それでも僕たちはその日を信じて毎日を過ごした。


土曜日の朝、僕たちはやっぱりいつもの一日の始まりを迎えていた。絵里奈と一緒に朝食を作って、途中で目が合ったりしてキスをした。もうしばらくデート?にも行ってないけど、いくら普通の日常を送ろうとしてても、さすがにそこまでの気持ちの余裕はなかった。せめて玲那が帰ってきてからじゃないと、ね。


三人で朝食を食べて、掃除をして洗濯をして、沙奈子の午前の勉強をして、ようやく僕も一緒に玲那のお見舞いに行けた。バスに乗って、病院の前で降りて、玲那の病室へと向かった。それももう僕たちの日常の一部になってた。


なのに、その日はそれまでと違ってた。いつもと変わりなくドアを開けて入ろうとした僕たちが見たのは……。


「…玲那……?」


絵里奈が、思わずそう声を漏らした。その目に、みるみる涙が溢れてきてた。


「おねえちゃん…!」


沙奈子も声を上げた。嬉しそうな声だった。


そう、僕たちの視線の先にいたのは、僕たちの前にいたのは、ベッドの上で体を起こして、少しだけ笑みを浮かべた穏やかな顔で僕たちを見てる玲那の姿なのだった。


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