二千五百三 沙奈子編 「僕の本質が表に」
『人間は変われる』
僕は確かにそれはあると思うし、そうじゃなきゃ今の僕がいる説明がつかない。
だってかつての僕は、誰のことも信じなくて、誰のことも必要としてなくて、自分一人で生きていけると思ってて、自分の命についてもまるで大事に思ってなかったからね。いつどこで野垂れ死んでもかまわないとさえ思ってた。
『死んでないから生きている』
というだけの存在だった。何かを考えるのも嫌で、それこそロボットのように心というものを捨てて生きてたんだ。そんな僕が、沙奈子と一緒に生きるようになってからは、こんなに毎日あれこれ考えて、親として大人としてどうするのがいいのかを気に掛けるようになったなんて、とんでもない変化だと思う。以前の僕からすれば到底考えられない、想像さえしてなかった姿だ。しかも、結婚して子供まで迎えて。
有り得ないよ。あの頃の僕からすれば、何度生まれ変わってもできる気もしないことができてるんだよ?。
沙奈子もそうだ。捨てられた子犬のようにすべてに怯えて何も信じることができてなかった彼女が、今では何人もの友達に囲まれて、顔を見られないだけで寂しそうにしてもらえるようになったんだからね。
だけど同時に、確かに本質の部分では大きく変わっていないことも事実だと思う。僕はいまだに『人間』というものを本当は信じてないし、沙奈子もそれは同じだって感じてる。
でもね、『信じられる』……、いや、違うな。『信じてもいいと思える人間もいる』と考えられるようになって、実際にそれができるように意識することで今の自分を成り立たせてるんだよ。
それが、『人間は変われる』ってことなんじゃないかな。
ただ、何のきっかけもなく自分で変わるのはすごく難しいだろうなというのも確かに感じる。
『変わりたいと思えるきっかけ』
もなしに自分を変えようと考えること自体が現実的じゃないと思うんだ。人間って、変化を嫌う習性みたいなのもあるらしいから。僕や沙奈子の場合は、『きっかけ』が突然、どうしようもない形で降りかかったきたことで変わらざるをえなかっただけで。
否が応でも自分以外の人間の存在を意識しなきゃいけなかったから、その状況をなんとか自分の中に落とし込むようにしてたら、相手が何を考えて何を望んでどうするのが一番適切なのかを考えるようになっていったんだよね。
でもそれは実は、元々持ってた僕の本質が表に出てきた形でもあるのかもしれない。こうやって延々と考え続けるのが本来の在り方だったのかも。




