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僕に突然扶養家族ができた訳  作者: 太凡洋人
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二千四百九十一 沙奈子編 「自分の仕事ぶりを」

四月二十三日。日曜日。晴れ。




以前にも触れたことかもしれないけど、在宅仕事にしても結果として同じ仕事量がこなせてるのに『サボってる』なんて話になったら、じゃあ、会社に出勤してしてたことはなんだったの?。職場で何をしてたの?。『仕事をしてるふり』なのかな?。


そんな『仕事をしているふり』を見ることで安心したいの?。そのために出勤させてるの?。仕事ってそれでいいの?。


僕はそうは思わない。『上司に見られてるかどうか』で真面目に仕事をするかどうかを決めるんじゃなくて、そもそも自分に割り振られた仕事についてはきちんとこなすことが当然だと感じてる。前の職場でもそうしてきた。ただ、その『仕事の割り振り』が前の職場では『残業することが前提』になっていて、それはどうなのかな?って感じるだけだ。


最初から残業前提で仕事を組むのって、しかも繁忙期に一時的にそうなってしまうんじゃなくて、常にその状態が当たり前だなんて、それってどうなんだろう。


『SANA』ではそれもしないようにしてるそうだ。僕の今の職場も、残業はしない方向で仕事は組まれてる。僕が休日とかにも仕事をしてるのは、あくまで『玲緒奈れおなの相手もしながらだから』なんだ。完全に集中してやれば十分に本来の勤務時間内で終わらせられるそれなんだよ。


決して無理なノルマを課されてるわけじゃない。


それなのにちゃんと仕事がこなせてない人がいるというのが不思議なんだ。しかも、能力的にできないんじゃなくて、『サボってるからできない』なんて。仕事というものをどう考えてるんだろうな。


『労働者』というのは、『労働を提供することでその対価として賃金を得る存在』だよね。今の社会ではそういうことになってるよね。決して『奴隷』ってわけじゃないよね。


これは、『勤め先に奴隷として使われない』のと同時に、


『対価としての賃金を得たいなら、それに見合った労働を提供する義務もある』


ことを意味してると思うんだけどな。だから僕は、親として大人として自分の子供にそれを教えていかなきゃいけないと思ってる。それが、この世に自分の勝手で子供を送り出した親の務めだと思うんだよ。そして、人生の先達としての大人の役目だとも思ってる。


だけどこれは決して口先だけで言葉だけで『こうしろああしろ』と押し付けるものじゃないとも感じてるんだ。親自身が大人自身が自分の普段の振る舞いで子供に手本として示していくべきことなんじゃないかな。


昔は、親が子供に自分の仕事ぶりを見せたりすることも多かったらしいけど、それについてはいいことなんじゃないかなって気がする。



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