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僕に突然扶養家族ができた訳  作者: 太凡洋人
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二千四百八十七 沙奈子編 「そんな仕事」

四月十九日。水曜日。曇り。




沙奈子が正社員として働き始めるにあたって、『働くということ』について僕は親として彼女に分かってもらわないといけないものがあるとすごく感じてる。


世の中の親には、それを面倒がって口先だけで説明しようとしたり、それこそ、


『自分で勝手に学べ』


とばかりに何も教えない人もいるらしいけど、僕はそういうのは無責任だとしか感じない。


だって、『自分が勝手にこの世に送り出した人間』なんだよ?。自分の子供というのは。それなのに、大切なことを教えることさえ見ず知らずの誰かに丸投げするの?。それはあんまりにも身勝手ってものじゃないかな。


ああ、そんな親に育てられたから、


『一を教えたら十を理解するのが当たり前』


『言われなくても自分で考えて仕事をするのが当たり前』


みたいな考えの人が職場にいたりするのか。


だけどそんなのは、結果として上手くいけばいいけど、実際にはただの『運頼み』『他人任せ』でしかないと思う。それで上手くいかなかった時に慌てるなんて、『備えあれば患いなし』って考えとは真逆だよね。だから僕は、自分にできることはちゃんとしなくちゃと思うし、『面倒だからいいや』でやらなかったことについては、『上手くいかなくても当然』としか思わないようにしてるんだ。なにしろ、『面倒だからいいや』とやらなかったのは、紛れもなく僕自身の責任だから。


仕事についても、間違えてもらったら困ること、失敗してもらったら困ること、そういうのについてはきちんと理解してもらう努力をするべきだと思ってる。決して『一を教えたら十を理解するのが当たり前』とは考えない。『一しか教えなかったら一しか理解してもらえない』のがむしろ当然だと思うんだよ。


そもそも、『一を教えたことで十を理解した気になってる』場合だって、それはその『一を教わった人』が『一を頼りに他は自分なりの解釈で理解した気になってる』だけなのがほとんどなんじゃないのかな。それが正解を引き当ててたらいいけど、外れてたら目も当てられない気がするんだけどな。


実際、そういうことが多々あったんじゃないの?。『理解してるつもり』の人がしでかしたことで損害が生じたことも無数にあったんじゃないの?。


どうしてそういう事例から学ばずに『運任せ』にすることがもてはやされるのか、すごく不思議なんだ。『仕事』を運頼みのゲームみたいに思ってるのかな?。スリルでも楽しみたいのかな?。


僕はそんな仕事、おっかなくてしてられないし、そんな仕事で自分たちの生活を支えたいとは思わないけどな。



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