二千四百七十二 沙奈子編 「ドールの作り手が」
四月四日。火曜日。晴れ。
昨日、事務所で辞令を読み上げるだけのささやかなものだけど、イチコさんと田上さんの入社式が行われたそうだ。だけど、そんなに改まった感じにはならなかったって。それでも、区切りの一つにはなるのかな。
しかも、
「山下典膳さんが今月の中旬頃には帰ってくるそうです。それで、一度、沙奈子ちゃんと面会したいということで」
仕事から帰ってきた絵里奈が、そう口にした。母親の傍にいるために実家に帰ってそこで介護をしながら人形の制作を行っていた山下典膳さんが、母親を看取り、それに伴うあれこれを終わらせて整理して、いよいよ本来のアトリエに帰ってきて、本格的に活動を再開するそうだ。
「それで、一度、沙奈子ちゃんに直接会ってゆっくり話がしたいとのことです。典膳さん自身、人付き合いが得意な人じゃないのもあって、実はこれまでビデオ通話みたいな形でさえ顔を合わすのを躊躇ってたそうですけど、お母さんが亡くなったことで改めて『生きてる間しか顔を合わすことができない』と実感して、踏ん切りがついたとのことで」
「なるほど」
その気持ち、僕にもなんとなく想像できる気もする。僕の場合は、両親に対する『思慕の念』みたいなものは、今に至っても一切湧いてこないけど、絵里奈と玲那の恩人である香保理さんのことを思うと、
『一度お会いして話をしてみたかったな……』
と思わなくもないんだ。でも、それはもう永久に実現できない。亡くなった人と会うことはできないからね。
もっとも、香保理さんが生きてたら、そもそも絵里奈と玲那が僕に興味を持ってくれてたかどうかさえ分からない気もする。
それを考えると、人生っていうのはどこまでも皮肉なんだなとも思う。香保理さんが亡くなったことで僕は絵里奈や玲那と家族になって、玲緒奈が生まれたってことになるかもしれないんだから。
山下典膳さんが沙奈子と会おうと決心できたのも、もしかしたら本当に母親が亡くなったことが大きく影響したのかもしれないし。それがなければ、沙奈子はずっと、山下典膳さんの素顔も知らずにこれからもドレスを作り続けることになったかもね。
もっとも、そうだったとしても、沙奈子はこれまで通りにドレスを作り続けるだろうな。彼女にとってはドールのドレスを作ること自体が大切なんであって、
『自分が作ったドレスを着るドールを誰が作ったか?』
はそれほど重要じゃないみたいだし。
ただそれでも、お互いに直接顔を合わすこと自体には、意味もあるんじゃないかな。ドールの作り手がちゃんと血の通った生きた人間だっていう実感があるのは、大事なような気もするんだ。そこに命があるのを実感することで、血は通ってないドールにも命の形が見えるかもしれないしね。




