二千四百六十二 沙奈子編 「ジョークなら」
三月二十五日。土曜日。雨。
『ジョークなら何を言ってもいい』
と考える人もいるみたいだけど、僕はそうは思わない。ましてや、それで何度も注意を受けてきたのなら、自分の立場では控えるべきことなんだって分かるんじゃないのかな?。それをわきまえられないなら、何らかの処分はあって当然だと思うんだけどな。
パワハラをするような人だって、自分の言動については『許されて当然』とか思ってるからそんなことをするんじゃないのかな?。自分の言動や振る舞いについて省みるということをしないから、そんなことができてしまうんじゃないのかな。自分で自分を省みることができないのなら、『処分』という形で具体的な対応を取られるのは社会人としては当然だと思うんだけどな。
でも同時に、だからって誰かを一方的に攻撃するなんて振る舞いもまた、僕は控えるべきものだと考えてる。そうじゃないと、玲那が世間から攻撃されることも容認しなきゃいけないはずだから。
『批判』はあって当然だと思う。『意見を述べる』のも許されるべきだと思う。でも、それと『暴言』や『悪態』や『罵詈雑言』を発信していいというのとは違うはずなんだ。違うからこそ、『ジョークなら何を言ってもいいというわけじゃない』ということになるはずだし。
『ジョークなら何を言ってもいいというわけじゃない』と批判したいなら、『批判という大義名分があればどんな言い方をしてもいいというわけじゃない』のもわきまえるべきだと思う。それができないなら、『ジョークなら何を言ってもいい』と思ってる人と何も違わないんじゃないの?。
どうしてそれを理解してない人がいるのかが、僕は不思議で仕方ない。誰もそれを教えてくれなかったの?。その人の親は何をしていたの?。そして親が教えてくれなかったからといって親の所為にするなと言うのなら、親は何のためにいるの?。
僕は、『ジョークなら何を言ってもいいというわけじゃない』『批判という大義名分があれば何を言ってもいいというわけじゃない』というのをちゃんと沙奈子や玲緒奈に対しても示していかなきゃと感じてる。
そして今日も、買い物に行った時に、子供をチャイルドシートに乗せた父親らしき男性や、同じく子供をチャイルドシートに乗せた女性が、当たり前のように赤信号を無視して減速さえせずに交差点を突っ切っていったのを見た。
そんなことをしていて子供に対してどんな手本を示せるっていうんだろうな……。




