二千四百五十五 沙奈子編 「昔の人はちゃんと」
三月十八日。土曜日。雨のち曇り。
自分の言動や振る舞いに責任を持たない人が増えた印象がある。
と思ってしまったりはするけど、たぶんそれは、ただの『印象』でしかないんだろうな。ネットの普及でそういうのが表に出やすくなっただけで、昔からそういう人はたくさんいたんだと思う。
僕の兄もそうだよ。彼が勝手にこの世に送り出したはずの沙奈子に対してまったく責任を持とうとしてないけど、沙奈子がそんな目に遭っていたのはネットが今ほど普及する前のことだし、子供の養育費さえ払おうとしない親も珍しくなかったよね。
『元配偶者のことが気に入らないから』
的な理由で養育費の支払いを拒否してる人がいるというのもよく聞く話だけどさ、でも、養育費を受け取る権利があるのはあくまで子供であって、親権を持ち養育してる親はいわばただの代理人に過ぎないはずなのに、それをわきまえようとせずにただただ自分の無責任さを正当化するための言い訳を並べる人は、昔はそんなに少なかったの?。
そういう事実を冷静に考えればこそ、『昔は良かった』というのがただ過去を美化してるだけでしかないという実感があるんだよ。そして、ちゃんと責任を負える人、責任感がある人が、『過去を美化する』なんてことをするのかな?。
僕が実際に知ってる人たちの姿を見てても、
『昔はちゃんと責任感を持ってた』
みたいな実感はまるでないんだ。あくまで昔はネットがなかったことで、今みたいに『炎上』なんていうのが起こらなかっただけで。ニュースに取り上げられるようなのは、それこそ『ニュースバリューがあるもの』だけで。
そうだよね。昔はニュースで取り上げる意味がありそうなものしか取り上げられなかったからそれ以外については『身内の話』で済んでただけなんじゃないかな。
なにしろ、『若い頃の悪さ』を『武勇伝』として語る人だって珍しくなかったよね?。その『悪さ』は、今みたいにネットがあったらもっと大きな話になってたんじゃないかな。『炎上』してたんじゃないかな。
『昔の人はちゃんと躾けられてた』
わけじゃないと思う。『悪行』が見過ごされてただけ、騒ぎにならなかっただけ、それだけでしかないんじゃないかな。
だけど、ネットの普及によってそういうのが目に付きやすくなったということは、それを子供たちが真似しやすくなってしまってるのも事実なんだろうな。僕はそれがすごく怖い。だからこそ、親である僕がしっかりと手本を示さなきゃいけないと改めて思い知らされるよ。
自覚させられる。




