二千四百五十四 沙奈子編 「群れないと」
三月十七日。金曜日。晴れのち曇り。
何か、災害の被災者を揶揄するような侮辱するような動画をネットにアップした人がすごく批判されてるみたいだ。
ただ、僕は、被災者を侮辱するような動画をネットにアップすること自体はすごく愚かなことだと思うけど、でも、
『他人の痛みとか分からないのか!?』
的なことを言いながら攻撃してるような人たちについても、
『自分のやってることを省みるというのができないんだろうな……』
としか思わないんだ。だってそういう人って、相手が死ぬまで攻撃したりするよね?。たとえ愚かなことをしたといっても、さすがに命まで奪われる必要はないと思うんだけどな。
しかもこう言うと、
『この程度で死ぬような弱い奴はどうせ生きていけない』
とか言ったりするよね?。『他人の気持ちが分かる人』『他人の痛みが分かる人』がそんなことを言うとか、おかしくないかな?。他人の気持ちや痛みが分かるなら、そんなことを言わないと思うんだけどな。
だからやっぱり、『他人の気持ちが分かる』とか『他人の痛みが分かる』とか言ってる人は、『他人の気持ちが分かる。痛みが分かる。と考えてる自分に酔ってる』だけでしかないと思うんだよ。
すると千早ちゃんも、
「私も、『馬鹿なことしたなあ』とは思うけどさ、だからってネットで吊るし上げてリンチする必要とかないとしか思わないな」
だって。これに対して沙奈子も、
「うん。『ネットでこうやって言ってやらないと分からない』みたいに言われたりするらしいけど、それって、あの動画を上げた人の周りの大人が何もできないと言ってるのと同じだって気がする」
って。
それは、僕が考えてることと同じ。そう考えるように教え込んできたわけじゃないけど、それでも沙奈子はそんな風に考えるようになってくれたんだよ。
これと同じことが、ネットに被災者を揶揄するような侮辱するような動画を上げた人には起こらなかったってことだよね?。なぜ?。なぜ起こらなかったの?。
『本人にそれを理解できる素養がない』から?。だから本人の周りの大人がどんなに立派な人でも伝わらないって?。
おかしいな。だったらネットを通じてその人に何を言っても伝わらないはずだけどな。だって、普段から日常的に関わってる人ができないことを、どこの誰かも分からない、顔も名前も知らない、言ってしまえばただの『有象無象』でしかない人にどうしてそれができると思うの?。たくさんの人がするから?。それってつまり、
『群れないとその程度のこともできない』
と言ってるのと同じ気がするんだけどな。




