二千四百三十九 沙奈子編 「誰でもできる」
三月二日。木曜日。晴れのち曇り。時々雨。
今日は昨日とは打って変わって寒い。『寒の戻り』ってことだろうな。
僕がこうして、普段の行動や振る舞いや態度で手本を示そうとするのも、沙奈子が再び小学校に通うためにした準備をはじめとしたいろいろと、本質的には同じものだと思う。
他人からは、
『実の父親に捨てられた可哀想な子供の世話を、お人好しの叔父が戸惑いながらも頑張ってしてる』
ことが面白いかもしれなくても、今の僕がしてるように自分の人生を作り上げていく上で耳の痛いことについても言葉にしたり、延々と同じようなことを考えているだけなんていうのは、退屈で仕方ないだろうね。
でも、『人間を育てる』っていうのはそういうことだと思うんだ。何年も何十年もかけて果てしない地道な対応を繰り返して、場合によっては嫌なことも面倒なこともこなして、という。人間はゲームの中のキャラクターじゃない。
玲那も言ってたよ。
「人間はゲームのキャラクターじゃないもんね。ゲームのキャラは決まったことを決まったようにすればステータスが上がっていくかもだけど、人間はそうじゃないから。一人一人違うから。それに漫画やアニメのキャラだと、何かのイベントがあったらもうそれで成長したりするってのが多いけどさ、一回や二回のイベントで成長できるなんて、現実の人間だったらそんなにいないと思うけど?。漫画やアニメのキャラが成長できたりすんのは、それができるのを登場人物として採用してるからだよね」
って。
そうだよね。現実の人間でも一回言われただけでちゃんと理解して確実にそれが身に付く人もいるのかもしれないにしても、誰でもがそうできるわけじゃないよね。
絵里奈も言ってた。
「アルバイトとかの求人で、『誰でもできる簡単なお仕事です』みたいなのってありますよね?。だけど実際には、経験や慣れが必要で、覚えることも割と多くて、仕事初日の人だと『誰でも』『確実に』にはこなせないものって結構あるみたいなんです。『経験や慣れが必要で覚えることも少なくない仕事』なんて、『誰でもできる簡単な』とは言えなくないですか?。
確かに慣れてる人にとっては簡単な仕事かもしれないですけど、慣れてない人でも同じようにできなきゃ『誰でもできる簡単なお仕事です』なんて言っちゃいけないと思うんです。できる人にはできても、『誰でも』と言ってしまえるには、それこそ『経験も慣れも必要ない上にいくつも覚えなきゃいけないことなんてない』ってレベルじゃないと『虚偽の事実』になりますよね。だから『SANA』で求人を出す時にはそういう文言は使わないでおこうと思ってます」
僕にとっては、『沙奈子や玲緒奈に対して手本を見せる』っていうのは何も難しいことじゃなくても、だからって『誰でもできる』って言われたら、
『そんなわけあるか!』
って怒るんじゃないの?。




