二千四百三十五 沙奈子編 「気遣ってないのと」
二月二十六日。日曜日。曇り時々雨。
沙奈子が僕のことを気遣いすぎて精神的に追い詰められてしまったりしたら僕はそれをつらいと思う。
そんな形で僕がつらくなってしまったら、それは実際には僕のことを気遣ってないのと同じだと思うんだ。
逆に、僕が沙奈子のことを気遣いすぎて、そのことで彼女がつらくなってしまったら、やっぱり気遣ってないのと同じなんじゃないかな。
沙奈子がつらそうにしているのを見るのは僕は嫌なんだ。そして沙奈子も、僕がつらそうにしているのを見るのは嫌だそうだしね。
そういう意味でも相手にばかり一方的に気遣ってもらうことを期待するのは、相手のことを考えてない、相手を慮ってない、労ってないということだとすごく感じる。
だって気遣いすぎてつらくなっているのを見てても平気だっていうことだから。つらくなってるのを見ててもそのままにしておけるということだから。
つらそうにしてるのにそのままにしておけるというのは、相手を大切に思ってると言えるのかな。僕は言えないような気がするんだけどな。何かそこで言い訳を並べて詭弁を並べて自分を正当化しようとするかもしれないけど、そうしたいと考えてしまう気持ちそのものを否定するつもりはないけど、褒められたことじゃないというのも事実だと思うんだ。
だったら何より、自分にとって大切な人が穏やかな気持ちでいられるようにするのを優先したい。そして同時に、自分自身を蔑ろにするのも避けたい。なにしろ、それは結局、自分のことを大切に想ってくれている人を蔑ろにしてるのと同じだと感じるから。
沙奈子や絵里奈や玲那を気遣いすぎて僕がつらくなっているのを見ていて、沙奈子や絵里奈や玲那が平気でいられるわけじゃないのを知っているからね。
正直、僕が玲緒奈の世話をするために少し無理をしていたのを沙奈子が見ていてつらそうにしていたのは、気付いてた。気付いてたけど、さすがにそこは多少の無理をしなきゃいけなかったのもあったから、申し訳ないと思いつつも耐えてもらうしかできなかった。そういうのもあるからこそ、そういう時もあるからこそ、普段は穏やかでいてほしいと思うんだ。穏やかでいられるようにしたいと思うんだ。
その結果が、今の沙奈子の様子だよ。
同時に僕がそうやって沙奈子を気遣っている様子を玲緒奈の前で見せることが手本になるとも思ってる。
『相手を気遣うというのはどういうことか?』
というのを、言葉だけじゃなく行動で振る舞いで具体的に示すというね。




