二千三百六十八 SANA編 「損をするのが」
十二月二十一日。水曜日。晴れのち曇り。
沙奈子たちは今日から冬休み。
今回は大雪にならなかったけど、もちろん油断はできない。ただ、それとは別に、僕たちにとって『大雪』はつらい思い出と直結してるから、そういう意味でも歓迎できないな。
ところで、『事故さえ起こさなければ交通ルールなんてそこまでちゃんと守らなくてもいい』って考える人もやっぱり少なくないみたいだけど、事故を起こす人だって、別に事故を起こそうと思ってたわけじゃないのがほとんどだと思う。英田さんのお子さんを撥ねたドライバーだって、事故を起こすつもりで『ながら運転』をしていたわけじゃないはずだよね。
自動車が法律で厳しく制限されるのは、それ自体が非常に危険な道具だからなんじゃないのかな。理性的に抑制的に使わないと、『うっかり』で取り返しのつかないことになるからだよね。何か危険を感じれば減速し、停止を頭に入れて運用しないと駄目なんだよね?。
『急に減速とかしたら余計に危ないだろ!』
と言うかもしれないけど、それはあくまで、
『漫然と運転してる人がそれだけいる』
という証拠なんじゃないの?。前を走っている自動車の挙動とかをきちんと確認していて、急に減速したりという異変があったら注意を払うのが自動車を運転するのに必須の心構えのはずだよね?。僕は自転車に乗る時でもそれを心掛けていなきゃいけないと思ってる。沙奈子や玲緒奈に手本を示すために。
最近はずっと水族館に行く時はハイヤーを使ってるから自転車の出番はないけど、玲那が引率して自転車で行ってた時には彼女が沙奈子たちに手本を示してくれてた。大人がちゃんと手本を示さなきゃ、子供たちだって『言ってることとやってることが違う大人』なんて信頼してくれないとしか思わないんだけどな。
とにかく、『事故を起こさないようにする』なんて当たり前過ぎて何の自慢にもならないし、『事故を起こさないようにする』ためにも、まずは法律やルールを守る意識を心掛けるべきなんじゃないの?。
加えて、わざと事故を起こすのは厳密には『事故』じゃなくて『事件』じゃないかな。『殺人未遂』とかその辺だと思うんだけど。
そして、法律もルールも別に守らなくていいって考えるのは、結局、
『狡い人だけが得をする社会』
を作ることになるだけだとしか僕は思わない。損をするのが嫌だって考えたら狡いことをしなきゃいけない社会を作って、そんな社会が望みなの?。
『法律もルールも守るつもりのない狡い人に合わせることが当たり前』
だなんて、大人として恥ずかしくないのかな。




