表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
僕に突然扶養家族ができた訳  作者: 太凡洋人
2207/2601

二千二百七 SANA編 「暴力を否定する」

七月十三日。水曜日。晴れ。




僕たちは暴力を否定する。世の中には、


『結局は暴力が問題を解決してきた』


とか言ってる人がいるみたいだけど、そんなことを言ってる人たちも自分がその暴力で虐げられたら被害者ぶるんだとしか思わない。


しかも、ネットの匿名の陰に隠れてあれこれ言ってるような人たちは、暴力を恐れてるからネットの匿名の陰に隠れてるんだよね?。そうじゃなきゃ堂々と自分の身元を明かしてできるよね?。自分はそうやって暴力を恐れてるのに暴力を肯定するというのは、本当に卑怯だと思う。自分が暴力を使いたいから肯定してるんだとしか思えない。自分だけが一方的に暴力を使いたくて、でも他の誰かからの暴力は恐れて、それでこそこそしてるんだよね?。


僕は暴力を振るわれたくなんてないし、僕の家族が誰かから暴力を振るわれることも断固拒否する。だから僕自身も暴力に訴えることはしないでおこうと思ってるだけだ。


それに、歴史上の問題が本当に暴力で解決したって言うの?。宗教上の衝突が基になった暴力の連鎖は、暴力で止められたの?。止められてないよね?。戦争だって、それまでの『小競り合いという形の暴力』で解決しなかったから『戦争という形の巨大な暴力』でなんとかしようとしてるんだよね?。だけどそれも結局、最終的には停戦協定とかって形で手打ちにするよね?。


『停戦協定にまで持って行けたのは戦争したからだ!』


と言うかもしれないけど、はっきりとした停戦に持って行けなくて、戦闘行為自体は避けるようにしてても実際にはまだ戦争状態っていうところもあったりするよね?。


奴隷解放のために戦争したりってこともあったけど、『制度としての奴隷』は確かに解消されたかもしれないけど、でも実際には今でも形を変えた奴隷制度が残ってるから社会に対して不満を募らせたりしてるんじゃないのかな?。


『解決』っていうのは、目に見える形での衝突がなくなればそれでいいってことじゃないと思うんだけどな。


大昔の恨みをいまだに引きずってテロとかが横行してたりするのに、何が『解決した』のか、まったく分からない。身を守るために力を使うにしても、理性的にわきまえてでないと、人間はすぐに残虐なことをする。自分の行為を正当化する理由さえあればいくらでも残虐なことができてしまうのが人間という生き物なんじゃないの?。


そうならないようにするためには、自分がしようとしてることが本当に適切なのか考える必要があるはずなんだけどな。



評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ