二千百八十四 SANA編 「信じられる感覚が」
六月二十日。月曜日。晴れ。
今日、緊急事態宣言が解除された。
だけど僕自身は、それを素直に信じることができそうにない。まだまだ当面の間、様子をうかがおうと思ってる。
「ですね」
「去年のこともあるしね~」
「私も、油断したらダメって気がする……」
絵里奈も玲那も沙奈子もそう言ってくれる。
別に僕が、
『そう考えろ!』
って押し付けてるわけでもないのに、みんなそうしてくれるんだ。だけどこれも結局、『押し付けようとしてない』からなんだろうな。って気がしてる。ここで一方的に押し付けようとしてたら反発したくなってしまうんじゃないかな。実際、世の中の人で政府の対策とかについて反発してる人って、
『一方的に押し付けられてるのが嫌!』
と思ってるような気がして仕方ないんだ。
そういうのををただの『我儘だ!』って言ってしまうのは簡単だけど、でもそれも何か違う気がして仕方ない。なんだか、
『親に一方的にあれこれ押し付けられて反発してる子供の姿』
なんじゃないかなって思えたり。
だからこそ、僕は沙奈子や玲緒奈に対して、
『親の言うことは四の五の言わずに聞け!』
みたいに言いたくないんだ。
『日本という国に生まれて日本政府の庇護の下で暮らしているのに政府の言うことに反発せずにいられない人がこれだけいる』
現状を考えると、『親に養われてるから』『日本政府の庇護の下で暮らしているから』という理屈では人間は納得できないんだなっていう実感がね。
それに僕も、政府の言ってることを一から十まで信用できてるわけじゃない。あくまで僕には状況を正確に判断できるだけの情報を手に入れる術がないから、僕自身が納得するまでウイルスそのものを研究できるわけじゃないから、
『取り敢えず政府の言ってることを前提にしつつも完全には鵜吞みにしないで、冷静に推移を見守り、自分にできることをする』
って感じかな。冗談抜きでそれしかないと感じてるんだよ。政府の言うことを信じきれないからって、何でもかんでも政府の発表を疑ってその逆を選ぶのが正しいのか?って言われたら、
『それこそ根拠がない』
としか思わないし。
実際にウイルスそのものを研究したわけでもない人が『こうだ!』って断言することを鵜呑みにできる神経が僕には理解できないんだ。僕が沙奈子や玲緒奈を見ていて実感したこと気付いたことを口にするのとはわけが違う。僕の言ってることはあくまで僕自身の経験に基づいたものでしかないからすべての事例に当てはまるなんて思ってないけど、自分が実際に調べたわけでもないことを断定的に口にする人が、政府以上に責任を取るとは到底思えないんだけどな。
『政府は責任を取ろうとしない!』
と口にしながら、もっと責任を取ろうとしない人を信じられる感覚が理解できないんだよ。




