二千五十八 役童編 「呆れ果てたみたいな」
二月十四日。月曜日。晴れ。
『他者の痛みを理解できる』
というのは、結局は『想像力』の問題だと思う。『自分が感じてるのと同じ痛みを他の人も感じてるかもしれない』ってちゃんと想像できるのが重要だと思うんだ。
そしてその想像力があれば、
『遊んでる時に転んだり何かが強くぶつかったら痛かった』
という経験を、『拳や足が強く当たれば痛い』という形で想像できるんじゃないかな。それができるかどうかというのが大事だって感じるんだよ。それができなきゃ、いくら『殴られる痛み』を知ってたって、『自分以外の誰かも同じように痛いはずだ』って想像できないだろうから、意味がないよね?。
しかも、殴られ慣れて殴られる痛みを感じる部分が鈍磨してしまったら、当然、感じる痛みそのものも鈍磨してしまうわけで。
少し考えたら分かるはずだよ?。平気で暴力をふるえる人は、本当に『殴られる痛みを知らない人』なの?。勝手にそう決め付けて、自分が誰かを殴る時に『殴られる痛みを教えるためだ』とかいう言い訳に利用してるだけじゃないの?。沙奈子も千早ちゃんも結人くんも、『殴られる痛み』なんて、知り過ぎてるくらい知ってるよ。そんな沙奈子たちを今さら殴って『殴られる痛みを教える』って何なの?。何の意味があるの?。
沙奈子は殴られるようなことはしないし、今は千早ちゃんもしないと思う。結人くんだけは『生意気だ!』って言われて殴られることはありそうだけど、彼の方からわざと殴られるようなことはしてないよ。今はもう。でも、『殴られる痛み』は嫌というほど知ってる。
その一方で、千早ちゃんも結人くんも、殴られ慣れた所為で、痛みについて過小評価してる部分があることを、本人たちも自覚してるんだ。
「いや、マジで、体が吹っ飛んでタンスにガーンとぶつかるくらい蹴る程度のことは、別に普通だと思ってたよ。しかも、『生意気な口をきいた』って程度のことでね」
千早ちゃんが言うと、
「俺なんか殺されかけてるからな。そん時のことは今でもよ~く覚えてるぜ。俺を勝手に生んでおいてそれで自分の人生が狂ったとか言って、自分より間違いなく弱い子供の首を、確実に殺すつもりで締めやがったんだ。それに比べたらちょっと殴ったり蹴ったりくらいのことが何だってんだ。とは思う。まあでも、今はやらないけどよ」
結人くんは呆れ果てたみたいな感じで言い放ったりもする。千早ちゃんや結人くんは幸い、それが正しいことじゃないって学べたけど、そうじゃなかったら今頃どうなっていたか……。
結局はそういうことなんじゃないのかな。




