二百四 玲那編 「事実判明」
残業を終えて9時前に家に帰ると、「おかえりなさい」ってちゃんと三人が出迎えてくれた。良かった、今日も無事だったってまた思った。
ただ、気になることがある。玲那のことだ。隣の秋嶋さんという人と、どんな話をしてたんだろう?。するとその僕の疑問に答えるように玲那が言った。
「お父さん、一緒にお風呂入ろ」
って、お風呂入ってなかったのか。ああでも、またあれか、二人だけで話がしたいってことか…?。
ちらりと絵里奈を見ると、困ったような顔をしながら黙って頷いてくれてた。絵里奈のお許しも出たことだし、分かった。一緒に入るよ。
それで玲那と一緒にお風呂に入って頭を洗ってあげて僕の背中を流してもらって、二人で膝を抱えて窮屈な格好で湯船に浸かった。
「で?。何の話かな、今日は」
僕がそう切り出すと、でも玲那は少し真面目な表情だった。あまりふざけるような内容じゃないんだと思った。
「例の児童相談所への通報のことなんだけど…」
そっちか。それも気になってたからね。とにかく聞くよ。
会社の昼休みにも概要だけは聞いてたけど、今日、仕事を終えた玲那が改めて秋嶋さんから聞いた話と丁寧に説明してくれた。
斜め上の七号室の樫牧さんが、どうやら僕が絵里奈や玲那と親しくしてることを妬んで嘘の通報をして嫌がらせをしようとしたらしいということ。
でも、それ自体はホントにただの悪戯程度のつもりのもので、僕のところに児童相談所が事情を聴きに来てあたふたするところを見てやろうくらいのものだったということを。
なのに、来支間さんがそれを真に受けたのかそれとも利用しようとしたのか、僕たちを児童相談所にまで呼び出して取り調べみたいなことをしてその結果、パニックになった沙奈子が自分の腕をボールペンで突くなんてことをする羽目にまでなってしまったのだった。
秋嶋さんはそれが許せなくて樫牧さんに詰め寄ると、樫牧さんが突然、二階のベランダから飛び降りたっていうのを改めて説明されたって、こうして概要だけ説明すると昼に聞いたのと同じになってしまうけど、細かい部分も説明してもらえた。
実は、僕たちを除いた住人全員が、沙奈子のファンだって言うんだ。
昼に聞いた時にも『なんだそれ!?。わけが分からないよ!』と思ったけど、改めて聞いてもわけが分からない。
それが僕の正直な感想だった。だけど、玲那には何となく分かる気がするってことだった。表だってアピールするのがとにかく苦手な人たちだから、彼らなりに陰ながら応援しようってことで、沙奈子に危険が及ばないように何か問題が起こったりしないようにっていうのを見守っていてくれたってことだった。
さらに僕を驚かせたのが、ベランダ側の植え込みに置かれてたカメラについても判明したってことだった。やっぱりあれは、僕たちの部屋を見るために置かれたものだったらしい。一応は安全のためにっていうことらしいけど、いや、やり方がおかしいだろ?。
正直僕は、そのことについてはかなり嫌な気分になった。
沙奈子を守りたいっていうその話がもし本当だったら、その気持ちはありがたいと思う。だけど、やっぱり変だよ。こそこそと僕たちを監視するみたいな形でとか。
だから到底、素直に喜べなかった。なんか違うって思ってしまった。ただ玲那が言うには、秋嶋さん達はそういう不器用なやり方しかできないんだってことだった。
確かに、僕も以前はそうだったのは事実だっていう気がする。いや、本質的には今も変わってないのかな。他人とうまく関われなくてちゃんと相手に自分の真意が伝わるように説明したりするっていうのが苦手で、何かするにしても他人からは見えないように悟られないようにこそこそするっていうのが基本的なスタンスだったのはその通りだ。だけど、ねえ…。
僕が不審そうにしてるのが顔に出てしまっていたのかもしれない。玲那は少し悲しそうな目で僕を見てた。
「お父さんが信じられないのは当然だと思う。私だって秋嶋さんたちのやり方は上手くないって思う。だけどみんな悪い人じゃないんだよ。ただ不器用なだけで…」
…玲那…。
「お父さん。私、男の人が怖くてこれまでは上手くできなかったんだ。でも最近だと、話をするだけだったら大丈夫になってきた気がする。それはお父さんのおかげなんだよ。男の人にもお父さんみたいな人がいるっていうのが分かってきた気がするから、ちょっとは冷静になれるようになったんだ…」
そうなのか…。こんな僕でも玲那の役に立ってるんだ……。
「分かった。玲那がそこまで言うなら、全面的に信用するのはまだ無理だけど、頭ごなしに駄目だとは言わないよ。ただし、沙奈子のことは見守るだけにすること。あの子のペースは他の人には難しいと思うから。ある程度の距離を置くのが、お互いのためだと思う」
そう。沙奈子の大人しさと言うか決して機敏じゃないペースは、他の人だとイライラしてしまう可能性が高い気がする。それでイライラされると沙奈子も怖がるだろうし、相手側にしても良かれと思ったことが上手くいかずに沙奈子に対してイライラしてしまったりするのは不幸なことなんじゃないかな。
僕はたまたま上手くいったけど、それは本当にたまたまなだけで、いつでもそうなる保証は何もない。記憶も何もリセットして一から沙奈子との生活を始めたら次も上手くいく自信なんてまったく無い。とにかく運が良かっただけって気しかしない。だから他の人とも大丈夫なんてそれこそ思えない。そういうわけで僕は慎重になるしかないんだ。
玲那も、そこは分かってくれていた。
「うん、あくまで私が間に入って、沙奈子ちゃんを守るのに協力してもらう形にする。任せっきりにしたりしないよ」
そうだな。それがいいと思う。だって、もし何か事故があったりしたら、責任を負わせることにもなるから。僕は沙奈子の親だから、あの子のことで全ての責任を負うのは当然だしその覚悟もある。もしものことがあったらそれは僕の責任で、僕が苦しむことになるのは仕方ない。だけど、ホントに仕事でもなんでもない形で子供のことで他人が責任を負わされるのって、好ましいことだとは僕は思わない。
山仁さんとかの場合は、あの人自身が子を持つ親でそういうことも承知の上で家で絵里奈や玲那が迎えに来るまで待っててもらっていいって言ってくれてるのが分かるし、万が一、事故とかがあったとしてもそれは『預けた僕の責任だ』って思える人だから任せられるんだ。
でも残念ながら僕は、秋嶋さんのことを、どんな人なのか全く知らない。そういう人を全面的に信用できるほど僕は聖人じゃない。だいたい、玲那だって初めて秋嶋さんとすれ違った時、舌打ちされて『感じ悪いね』とか言ってたじゃないか。
と思ったら、それは、僕が沙奈子や絵里奈や玲那に囲まれてるのが羨ましくてつい舌打ちしてしまったらしいということだった。




