千九百七十 玲緒奈編 「相手の気持ちに向き合う姿勢」
十一月十八日。木曜日。晴れ。
子供は、親の思う通りには振る舞ってくれない。そのことで、
『どうして?』
って感情を昂らせる人もいるそうだけど、絵里奈もそういう気分になることはあるそうだけど、僕はそこらへんはまったく平気だった。だって、
『玲緒奈は僕じゃない』
から。自分が他の人から見て完璧にその人の期待する通りに動けない振る舞えないのなら、自分の子供が思ったとおりに動いてくれない振る舞ってくれないなんて、当たり前のことでしかないから。
『自分の思うとおりに動いてくれる振る舞ってくれるのが当たり前』
と思ってたら確かに辛いかもしれないけど、そもそも自分が完璧に他の誰かの思い通りに動けない振る舞えないなら、自分以外の誰かが自分の思い通りに動いてくれない振る舞ってくれないのがそもそも当たり前だって考えてたら、
『それはそうだよね』
としか思えないんだ。だから玲緒奈が僕の思い通りに動いてくれなくても振る舞ってくれなくても、別に怒る必要もないしイライラする必要も感じない。
『じゃあ、玲緒奈はどうしてそんなことをしてるんだろう?』
って考えるだけなんだ。そうすると、『ヘアターニケット症候群』みたいなことも理解できてくる。沙奈子か絵里奈の髪の毛が指に絡まって食い込んで鬱陶しかったから機嫌が悪かったんだって分かる。
おなかが痛いのか、気分が悪いのか、何か怖いことがあったのか。
玲緒奈が不機嫌な時には必ず理由があった。そのすべてが解明できたわけじゃないけど、だいたいはそうだった。僕が打ち合わせのために会社に行ってた時にも、玲緒奈は機嫌が悪かった。僕がいないことが不満だったんだろうな。
そして僕が帰ってからも、自分をほったらかしにしていなくなってた僕に対して怒ってたんだと思う。その不平不満に対して僕はちゃんと向き合って耳を傾けることを心掛けた。
『だって仕方ないだろ、我慢しろ!!』
じゃなくね。なにしろ、『我慢しろ!!』って言ってる方が、相手の不平不満と向き合う手間が我慢できないからそんな風に言うんだよね?。相手に我慢を要求するのは自分が我慢したくないからだよね?。
僕は玲緒奈に、『パパがいない』ということについて我慢を強いた。だったら、そのことについて玲緒奈が文句を言ってても、我慢するべきだと思う。
それに対して納得できない人がいたって関係ない。これは僕と玲緒奈の問題だ。僕は玲緒奈の感情と向き合うって決めた。その自分の信念に基づいてやってることだ。見ず知らずのどこかの誰かのためにしてることじゃない。
『相手の気持ちに向き合う姿勢』
というのを、玲緒奈に示すためにしてることなんだ。




