百八十七 玲那編 「人タラし」
嫌な夢を見たせいかその後あんまりよく眠れないまま朝になってしまった。またあの夢を見るかもしれないと思うと怖かったのかもしれない。だけど、今、僕の目の前には朝ご飯の用意をしてる絵里奈がいて、沙奈子と玲那は安心しきった顔でぬくぬくと布団にくるまってっていう、幸せを絵に描いたような光景があった。そうだ。これが現実なんだよ。僕はただ、これを守る為に頑張ればいいだけなんだ。
朝ご飯の用意をしてる時に絵里奈と目が合って、またキスを交わした。その時、何か気配を感じてハッと視線を向けたら、沙奈子と玲那が二人して僕たちを見てた。玲那はニヤニヤと笑って、沙奈子は嬉しそうに笑ってた。そうか、沙奈子も僕と絵里奈のことを認めてくれたんだなって思った。
いや、実はもうとっくに、沙奈子には分かってたのかもしれない。だって、あの子は他人の感情とかそういうのに敏感な子だもんな。僕自身が自分の気持ちに気付いてなかった頃から、もう、僕の絵里奈への気持ちを見抜いてたんだと言われても信じてしまいそうだった。
それからみんなで朝食を食べて、掃除と洗濯をして、午前の勉強をして、大希くんたちを迎えてホットケーキを作ってってした。石生蔵さん、いや千早ちゃんと星谷さんともすっかり打ち解けた感じになった。そしたら星谷さんがいかに大希くんにメロメロなのかがますます分かってしまった気がした。
でも、僕はもうそれを変だとは思わない。彼女は彼女なりに真剣なんだ。わざわざ言葉にはしないけど、彼女の気持ちも応援してあげたいと素直に思えた。
大希くんたちが帰って午後の勉強をして、それからみんなでまたスーパーに買い物に行って、莉奈の服作りをして、夕食は沙奈子と絵里奈の手作りハンバーグにした。生地から自分で作るのが楽しかったみたいで、
「今度はいそくらさんといっしょに作りたい!」
と言い出した。そういうのを一緒に楽しめる友達なんだなって改めて思った。うん。いいよ。いつでも誘ってあげて。僕も千早ちゃんたちなら大歓迎だ。千早ちゃん自身、そうやって楽しく料理とかをできるようになれば、きっといつかは役に立つと思う。沙奈子がそのきっかけを作ってあげられるなら、それ自体が沙奈子のためになるかも知れない。どうすれば他の人とそういう関係を作れるかっていうのを学んでくれるんじゃないかな。
今日のお風呂は、沙奈子と玲那が一緒に入った。だけど、お風呂から上がった二人は何か意味ありげな目で僕と絵里奈を見てた。まさか、僕と絵里奈に一緒にお風呂に入れってことか?。
さすがにそれはお互いまだ照れ臭くてできなかった。絵里奈が先にお風呂に入ると、部屋に残った僕を挟んで沙奈子と玲那が、じとっとした目で睨んできた。
「こら~、せっかくお膳立てしてあげたのに据え膳食わないとか何事か~?。貴様それでも男か~!?。この根性なし~!。とっとと心臓を捧げろ、オタンコナス~!」
って、怖いよ玲那…。しかも沙奈子も玲那そっくりの目で僕を見てる。もう既にかなり影響を受け始めてる。これはマズい気がする。この家に男は僕一人。このままじゃ三人の尻に敷かれそうだ。
でもまあ、それもいいかな。悪くない。そう思ってフッと顔が緩んでしまったら、玲那が言った。
「もう、またその顔する~!。ズルい。その顔されたら何でも許さなきゃって気になるんだよな~」
困ったみたいな顔で、でも笑ってて、そんな感じで言われて、僕は「え…?」って思った。『その顔』って…?。
僕が戸惑いながらもやっぱり頬が緩んだままで玲那を見てたら、彼女の頬が見る間に赤くなってきた。
「その顔だよ。私たちの何もかも受けとめますって顔!。その顔のせいで、男とか女とかそんなの関係なく自分の全部を委ねちゃってもいいかなって気にさせられるんだよ~!」
え…?。そうなの?。僕、そんな顔してるのか?。
「しかも、他の人にはそんな顔しないのに、私たちの前だけではそういう顔するの。ホント、ズルい。私たちはお父さんにとって特別なんだって、口で言わなくたって分かっちゃうじゃん!。このタラし!」
顔を真っ赤にして玲那は文句を言った。って言うか、これって文句なのかな。だって、そう言う玲那の様子を見てる沙奈子は、くすくす笑ってるし。
そうか、これってイチャイチャしてるだけなんだ。他人から見たらきっとそういう風に見えるんだ。
それにしても、どうして絵里奈と玲那が僕のことをこんなに好きになってくれたのか、分かってしまった気がした。僕が自分でも気付かないうちにしてて、しかもそれは沙奈子や絵里奈や玲那にしか見せない表情で、それを二人は好きになってくれたんだなって。
でもたぶん、それは表情だけじゃないのかな。僕がしてるそういう表情を、僕自身がその通りになるようにしようとしてるのが二人にも分かるから、二人も僕を受け止めようとしてくれるんじゃないかな。
僕は、誰のことでも認めたり受けとめたりできるほど器の大きな人間じゃない。ただ、沙奈子と絵里奈と玲那のことだけは受けとめたいって思っただけだ。この三人だけだったら、僕でも何とか受けとめきれるかなって思ってただけだ。だって、沙奈子はともかく絵里奈と玲那は僕のことも受けとめようとしてくれてたから。
結局、お互いに相手のことを受けとめようとしてるのが感じ取れてたから、こんな自分でも何とかなるかなって思わされてたのかもしれない。だから、もし、そういう相手じゃなかったらもうとっくに疎遠になってたんだろうな。何しろ、引きとめる気がないから。そこまでして他人と関わりたいって思ってないから。
ああそうだ。僕はストーカーみたいに他人に執着しないんだった。離れていくならむしろありがたいと感じるくらいだから、追いかけようとかぜんぜん思わないんだ。そういう部分も、絵里奈や玲那にとっては安心できたのかもしれない。ダメだと思ったらすぐ引き下がれば僕は追いかけてこないってのが感じ取れてたから、グイグイこれたってのもあるかもしれないな。
そういうところでも、二人にとって僕はハマる相手だったってことなのか。
そう思ったら、なんだか急に笑えてきてしまった。本当に僕たちはパズルのピースみたいに上手く噛み合う相手だったんだ。だからこんなに自然に振る舞ってるだけで楽しくなれるんだ。無理して自分を偽らなくても一緒にいられるんだ。そういう四人が家族になれる。当たり前のことかも知れなけいけど、こんな僕たちが出会えたことがすごいよな。こんなことが起こるんだって、それが妙におかしくて。
そしたら沙奈子と玲那も僕につられるみたいに笑い出した。三人でくすくすくすくす笑ってたら絵里奈がお風呂から上がってきて、「何々、どうしたの?」ってバスタオルを体に巻いただけのままで聞いてきたのだった。




