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僕に突然扶養家族ができた訳  作者: 太凡洋人
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十七 沙奈子編 「安堵」

沙奈子は今、幸せ過ぎて、それがおねしょの引き金になった。


山仁さんの話を要約すると、そういうことになるのかと思った。にわかには信じられなかったけど、辛い事とか嫌なことだけじゃなくて、嬉しい事とか良い事も実はストレスになる場合もあるという話は、僕も聞いたことがあった。ただその話と沙奈子のおねしょとを結びつけて考えるという発想が僕にはなかった。茫然としてる僕に向かって彼は続けた。


「おねしょというのは確かに困ったことだと思います。幸せだということが原因になったのなら、もしかすると以前のような辛い境遇に戻せば治ったりするかもしれません。ですが、私がもし山下さんの立場だったら、おねしょを治すことより、沙奈子ちゃん自身がその幸せを当たり前のこととして受け止められるようになることを優先するでしょう。たとえそれが何年かかってもです」


山仁さんは息子さんの方をちらりと見て、さらに続ける。


「上の子だけじゃなく、この子も実は今でも時々おねしょをします。だから寝る時は紙おむつをしています。しかも自分の姉もずっとおねしょをしていたことを知っていますから、沙奈子ちゃんがそうだとしてもそれを馬鹿にしたりからかったりはしません。人にはいろんな事情があるということを、この子ももうある程度理解しています」


スパゲッティを黙々と食べる息子さんを、彼は優しい目で見詰めた。ふと気付くと、沙奈子も息子さんのことをじっと見ていた。


「おねしょのことでからかわれたりイジメの原因になることを心配なさるかもしれませんが、この子や沙奈子ちゃんが通ってる学校は、そういうことにきちんと対処してくれる学校ですよ。この子も先日の臨海学校の時に、夜、おむつをして寝ましたが、他の子にはなるべく分からないように配慮してくれましたし。上の子がクラスの男子にからかわれた時も、熱心に対処してもらえました。もしもの時は、私も協力します。何しろ、沙奈子ちゃんはこの子の大事な友達ですから」


そして山仁さんは改めて姿勢を正し、言った。


「世の中には確かにいろんな人がいます。薄情な人や意地悪な人もいます。でも、力になってくれる人、味方になってくれる人も実際にいるんです。困ったことがあったら、自分ではどうにもできないことがあったら、そういう人に力になってもらえばいいんです。その分、もし誰かが困っていて自分にできることがあった時には、力になればいいんだと思いますよ。私もそうやってこの子達を育ててきました。もしかすると、山下さんが沙奈子ちゃんを引き取って、今の学校に通わせるようになったのは、必然だったかもしれませんね」


僕はもう、ただただ圧倒されていただけだった。そして思った。どうして僕の両親はこうじゃなかったんだろう?。僕の両親がもしこういう人だったら、兄も僕も沙奈子も、全然違った生き方をしてたかもしれないと思った。子供は親を選べない。こんな不公平なことはないと思った。


でも…そう、でも、沙奈子は今、僕のところにいる。兄みたいな人間の子供として生まれてきてしまったけど、僕がもし彼女を幸せにしてあげられたら、親を選べなかったことなんて、帳消しとまでは行かなくても気にならなくすることだってできるかもしれない。現に今、沙奈子と僕は上手くいってる。と、思う。それで幸せ過ぎておねしょするようになったんなら、それは逆に誇らしい事なんじゃないかって思ったりもした。


けれど同時に、それは良いように解釈しすぎかもしれないって考えてしまう自分もいる。これからもずっとそんなに上手くいく保証なんかないって思ってる自分もいる。だけど、やってみなくちゃ分からないよな。現に、山仁さんみたいな人だっているじゃないか。僕にも同じことができるかどうかは分からないけど、やろうとしなかったらそれこそできないよな。


その後、僕達と山仁さん親子は喫茶店を出て、ベビー用品売り場に来ていた。


「今の沙奈子さんの体格なら、子供用の<ビッグより大きいサイズ>というのでもいけるでしょう。ちょうど今この子が使ってるやつです。さらに大きくなったら今度は、成人用のSサイズでいけると思います。敢えておむつを使わず、おしっこで気持ち悪いのを実感させた方が早く治るという人もいますけど、それはあくまで乳幼児の話だというのが個人的な実感ですね。心因性のものは、本人の中でそれが解決しないかぎり、怒ってもすかしても無理かも知れません。ただしこれも、もちろん私個人の実感に過ぎませんが。とは言え、紙おむつを使わず毎日大量の洗濯というのも、親にとってもかなりのストレスになりますから、つい子供に当たってしまう危険性があるでしょうし、ましてや片親だとそれだけ人手も足りませんし、私はお勧めしません」


山仁さんの言うことはすごく具体的で、ただの精神論や根性論とは全く違うように感じた。僕も、綺麗事や社会的な常識を並べただけの抽象的な話だったらこんなに真面目に聞く気になれなかったと思う。でも実際にそういうことを経験してきた人の具体的な話というのは、やっぱり真実味が違う気がする。


「紙おむつを買うことに恥ずかしさや抵抗感を感じることもあるかも知れませんけど、他人はそこまで見ていませんよ。私はもう、娘の下着や生理用品を買うことだって平気です。何しろ、正当な理由があって買ってるんですから、誰にも何も言わせません」


紙おむつを手に取ることに少し逡巡してた僕の心理を見透かしたのか、山仁さんがにこやかな顔でそう言った。そして、


「ついでに私もこの子の分を買っていきます。あ、そうだ。ちょっと待っててくださいね」


と言って、日用品売り場の方へ速足で歩いていって、すぐに戻ってきた。その手には、生理用品が握られていた。


「こっちもついでに買っていきます。それで思い出しましたけど、女の子の場合、生理の間にも寝る時に紙おむつを使うと、漏れなくて便利ですよ。さすがに寝るとき以外は使えませんが、それくらいは仕方ないと思って諦めてます。女の子だと生理のことも考えなくちゃいけないですけど、逆に女性には聞きにくいですよね。だからそういう時は私に聞いてもらえれば分かることならお答えします。それに、子供の生理について男親だからこそ困ることというのは、むしろ女性には分かりにくいでしょうから」


と、これでおねしょのことだけじゃなく、いずれ来るであろう沙奈子の生理のあれこれまで解決の目途が立ってしまったのだった。


そうして、僕は紙おむつを、山仁さんは紙おむつと生理用品を持って、レジへと向かった。沙奈子は山仁さんの息子さんとずっとおしゃべりしていた。ただ、おしゃべりと言っても、ほとんど息子さんが一方的にしゃべってることに沙奈子が頷いてるだけだったけど。でもその様子はどこか楽しそうで、一緒にいるのが嬉しいんだっていう気がした。


会計を済ませて店から出て、僕は「ありがとうございました」と深々とお礼をさせていただいた。山仁さんは恐縮したように、「いえいえ、お役に立てたのなら幸いです」と手を振って、息子さんと一緒に帰って行った。僕も沙奈子と一緒に部屋へと帰った。


クーラーをつけて扇風機で涼みながら、僕は彼女に言った。


「おねしょのことはこれでもう気にしなくていいよ。他にもしてる人もいるんだって。だから僕も怒ったりしない。心配いらないよ」


沙奈子はちょっと照れくさそうにしてたけど、でも大きく頷いたその様子は、どこか嬉しそうにも見えたのだった。


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