百六十八 玲那編 「母娘仁王立ち」
夕食を終えて、さてお風呂だ。今日はどうするのかなと思ったら、
「沙奈子ちゃん、今日は誰と一緒に入る?」
と玲那が聞いてきた。
すると沙奈子が僕たちをぐるっと見渡して、
「お母さん!」
って、絵里奈を見て言った。絵里奈はそれを聞いて「はい」と微笑んだ。
「ちぇ~、やっぱりか~」
玲那は残念そうだったけど、先週、沙奈子と一緒に入ってたもんな。それは当然お母さんだろうって僕は思った。もっとも玲那だって本気で拗ねてる訳じゃない。顔が笑ってるもんね。ただその時、沙奈子に向かってニヤリと笑いながら聞いてきた。
「じゃあ、沙奈子ちゃんがお風呂入ってる間、お父さんのお膝もらっていい?」
…え?。と、僕も呆然としてしまったけど、沙奈子も「え!?」っていう顔をした。そしてちょっと考えるような仕草をした。そうなんだ。そこは思案するんだ。でもすぐに決心したみたいに頷いた。
「分かった。おねえちゃんにかしたげる」
だって。「やったぁ!」って玲那は喜んでたけど、お~い、僕の意向は~?。けどまあいいか、このやりとり自体がレクリエーションみたいなものってことかな。何だか面白いし。
僕が沙奈子たちに背を向けて座椅子に座り直すと、
「おとーさーん!」
とか子供みたいな声を出しながら玲那が僕の膝に座ってきた。「ぐえ!」って思わず変な声が出た。さすがに沙奈子とは圧力が桁違いだった。玲那も決して太ってるとかじゃないけど、体重30㎏もない沙奈子とじゃやっぱり比べ物にならない。しかも視界のほぼすべてが玲那の頭で遮られてる。これは何とも…。
「えへへ~、お父さんのお膝~」
玲那が嬉しそうにそう言う。僕にもたれかかってきて、沙奈子とは違う匂いがふわっと漂ってきた。だけど沙奈子と同じで、決して嫌な匂いじゃなかった。それどころかいい匂いって気がした。とは言えやっぱり、ちょっと重い…。座り方も沙奈子と同じで僕の膝に直接座るんじゃなくて、緩く胡坐をかいた僕の脚の間に座ってるから実際には僕を背もたれにして座椅子に座ってる形なんだけど、それでも沙奈子に比べると圧迫感が全然違う。それはそうだよな。大人の女の人なんだから。
僕がそんなことを考えてると、また玲奈が言った。
「沙奈子ちゃんが言ってた通りだ。お父さんのお膝、温かくて気持ちいい…」
呟くみたいなそれに、なんだかすごく実感がこもってる気がした。僕に甘えるみたいにして体を預ける玲那は、以前にも感じた通り、体は大きくても沙奈子と変わらない感じもした。幼い女の子っていう印象がすごくあった。
昨夜、沙奈子が絵里奈の胸に顔をうずめながら何度も『お母さん』って言ってたみたいに、玲那もきっとこうしたかったんだなって思った。だから沙奈子にしてあげるみたいに、後ろからそっと抱き締めてみた。するともっと僕に体を預ける感じにしてきて、玲那の体が急に小さく感じられた。まるで本当に子供に戻ってしまったのかと思った。
「お父さん…」
「…ん…?」
「大好き…」
「僕もだよ、玲那…」
そんなやり取りをしてる僕たちの後ろでは、沙奈子がはしゃいでる声がしてた。すごく楽しそうだった。僕と二人きりの時には、滅多に聞けない声だった。
その声に耳を傾けながら、僕と玲那は何をするでもなくただ座ってた。座ってるだけなのに、全然、退屈とか思わなかった。沙奈子の時とは少し違うけど、でもこうやって抱き締めてるだけですごく満たされる気がした。沙奈子じゃないのにこんな気持ちになれるのが何だか不思議だった。
普通の男性だったらこんな時、キスしたくなったりするのかなって思う。だけど僕にはそういうのが全くなかった。ここでもし、玲那にキスを求められたりしたら、それは拒まないかも知れない。拒もうっていう気は起こらないかも知れない。だけど僕からそうしようっていう気持ちも起らなかった。ああやっぱり僕は普通じゃないんだなって思った。
でもいいや。こういう僕だから玲那だって安心して甘えられるんだろうとも思う。それが求められてるんなら。僕はそれでいい。だけどその時、
「れ~い~な~!」
不意に声を掛けられてハッとなった僕らが振り返ると、そこには裸のままの絵里奈と沙奈子が腕を組んで立っていた。仁王立ちってやつだった。裸だけど、ぜんぜんセクシーとかそんな雰囲気はなかった。
「さすがにちょっと調子に乗り過ぎじゃないかな~?」
いつもとはまるで違う、どすの利いた絵里奈の声に、僕は圧倒されていた。でも玲那は悪戯っぽく笑って、
「え~?、いいじゃ~ん、せっかくなんだし~」
なんて、まるで堪えてない感じだった。月曜日の朝に僕と一緒に出勤した時に同じように仁王立ちで待ってた絵里奈に捕まった時とはまるで違ってた。それはもしかしたら、今は僕と一緒だから?。
それはどうか分からないけど、最初は少し圧倒された僕も二人の姿を見てるうちに裸のままでそんなところで立ってて風邪をひかれたら困るなあって思ってしまって、
「いいから服を着ようよ。風邪ひくよ」
って言ってしまったのだった。すると絵里奈が急に困ったみたいな顔になって赤くなって、
「そうだね、沙奈子ちゃん、服着よ」
と慌てて沙奈子に服を着せ始めた。沙奈子は単に絵里奈の真似をしてただけみたいで、嬉しそうに絵里奈に着せてもらってた。
二人が部屋着に着替えると、玲那が今度は、
「じゃあ、私もお父さんと一緒にお風呂入ろうかな~」
とか言い出した。いや、さすがにそれはマズいんじゃないかな。いくら家族でも玲那の歳でお父さんと一緒のお風呂に入るのは滅多にいないだろう。なんてことが頭をよぎった。ただそれは、焦ってるとか恥ずかしいからって感じでもなかった。単純に冷静にそう思っただけだった。
絵里奈も、怒るどころか呆れた顔をしてた。
「玲那、お父さんを困らせちゃダメでしょ」
絵里奈はそう言ったけど、僕は不思議とそれほど困ってる訳でもなかった。何故か玲那が相手だと、沙奈子と一緒にお風呂に入る感じで入れそうな気はした。それでも積極的に一緒に入ろうとは思わなかった。
「あ~ん!、おとうさ~ん!」
まるで誰かに連れ攫われそうになってるみたいに僕に向かって手を伸ばしながら、玲那は自分で風呂場の前まで行った。何だこの寸劇?。
そんな風に思ってしまったりもする。でも楽しいよ。悪くない。すごく馬鹿馬鹿しいのに、嫌じゃない。
昔の僕が見たらきっと軽蔑した目を向けるだろうと思った。そんな自分の姿が簡単に想像できた。でも、いい。
昨夜はやっと普通の家族になれたのかなと思ったりもしたけど、僕たちはやっぱり普通の家族とは違うよな。もしかしたら普通よりずっと楽しい?。普通よりずっと愉快?。
きっと僕たちは変な家族なんだろうなって思い直した。だけどそれが僕たちなんじゃないのかな。




