表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
僕に突然扶養家族ができた訳  作者: 太凡洋人
155/2601

百五十五 沙奈子編 「陽気」

「おはようございます…」


髪の毛が思い切り顔にかかったまま、伊藤さんがそう言った。沙奈子はそれを見てさらにくすくす笑い出した。それに気付いたのかようやく髪の毛をかき上げて、


「もう、沙奈子ちゃん、笑い過ぎだよぉ…、そんなに変…?」


恥ずかしそうに聞く伊藤さんの姿を、僕は何だかすごく穏やかな気持ちで見ていたのだった。


それから本格的に起き上がって布団を片付けると、沙奈子、伊藤さん、僕の順番でトイレに入った。すると、


「れいなおねえちゃん、ちょっとだけあっち向いてて」


って沙奈子の声が聞こえてきた。何のことかなと一瞬思って、そのすぐ後に、あ、おむつを捨てるのを見られたくないんだって思った。そうか。僕だけじゃなくて伊藤さんに見られるのも恥ずかしいのか。それにしても不思議だな。裸を見られるのは今でも平気なのにな。


まあそれは置いといて、僕がトイレから出ると、沙奈子と伊藤さんが寝間着代わりの部屋着を脱ぎ始めるところだった。


「あ、ごめん」


そう言って僕がトイレに戻ろうとすると伊藤さんが、


「いいです。平気です。山下さんだったら」


って言われて、ちょっと複雑な気持ちになった。信頼されてると言えばいいのか、男として見られてないのか…。ああでも、伊藤さんの場合は、男として見られないからこそいいのか。そう思うと、それでいいやって素直に思えた。


だから僕も、気にしないようにして自分の着替えを始めた。それから三人で軽く口をゆすいで、朝食にした。


「伊藤さんもトーストでいいのかな?」


って聞くと、


「私、いつもは朝はヨーグルトだけとかフルーツだけですけど、沙奈子ちゃんと一緒でいいです」


と応えたから沙奈子が「分かった」って言ってトーストを焼き始めた。


「沙奈子ちゃん、トーストも自分で焼くんだ。偉いね~」


伊藤さんが嬉しそうな、いや、デレデレって言った方がいいのかって感じの顔で沙奈子を見ていた。それにしても、髪の毛もぼさぼさのまま、メイクも全くしてない伊藤さんって、すごく幼く見えるな。高校生って言われても信じてしまいそうだ。こうしてると本当に沙奈子と姉妹に見える。


しっかり者の妹と、ちょっとだらしない姉か…。


そんな考えが頭をよぎって、僕は少し頬が緩んでしまったのだった。でもその後はいつも通りに仕事に行く用意をして、準備万端整えた。そして伊藤さんに向かって、


「沙奈子が裁縫セットを使いたがったら使わせてあげていいけど、怪我とかには気を付けてあげて。他にやることは沙奈子が知ってる。あと、お昼はお願いしていいかな」


と声を掛けた。「分かりました」って頷いてもらえたのを確認して、今度は沙奈子に向かって言った。


「じゃ、僕は仕事に行くからね。お留守番、しっかり頼むよ」


沙奈子も僕を見て、


「うん、お父さん、お仕事がんばってね」


って言ってくれた。それから玄関に立つ僕に手を伸ばして頬に「いってらっしゃい」のキスをしてくれた。僕もお返しのキスをすると、伊藤さんが、


「いいなあ~…」


って呟いた。すると沙奈子が、


「おねえちゃんもチューしていいよ」


だって。まさか、と呆気にとられる僕に、


「え?、いいの?、やったあ!」


と言いながら伊藤さんが、沙奈子がしたのとは反対側の頬にキスをした。


きゃあきゃあと小さく歓声を上げながらもじもじするその姿を見て僕は、彼女も子供に戻ってるんだなってしみじみ思った。だから、


「じゃあ僕からも、お返しに…」


と伊藤さんの額にキスをした。


両手で自分の頬を押さえてさらにもじもじする伊藤さんは、耳まで真っ赤になっていた。だけどその姿を見て改めて僕が感じたのは、伊藤さんが求めているのは、男性としての僕じゃなくて、父親の姿なんだろうなって気がした。きっと、沙奈子と同じくらいの年頃の娘として思いっ切り甘えられる理想の父親みたいなのを、僕に求めてるのかもしれないって感じた。


でも、それでも構わない。僕だって別に伊藤さんのことを女性として好きって訳じゃない。そういう意味でもお互い様ってものだと思う。男としては大きなものが欠けてる僕かもしれないけど、そんな僕が役に立つならそれはそれでいいことなんじゃないかな。誰かの助けになるのなら、素晴らしいことなんじゃないかな。


二人に見送られながら家を出た僕は、バスの中でいろいろ考えていた。


伊藤さんはもしかすると、沙奈子と同じくらいの頃から精神的な成長みたいなのが止まってしまっているのかもしれない。一応は大人としての社交辞令みたいなのは身につけてても、本当の彼女は幼い子供のままなのかもしれない。もし本当に10歳くらいから心の成長が止まってしまっているのなら、彼女は抜け落ちてしまった10数年分の時間を取り戻したいと思ってるって気がした。


もしそれが伊藤さんの望んでることなら、それを僕が提供できるなら、それに応えてもいいって思える。どこまで応えられるかは分からないけど、沙奈子と同じように接してほしいというくらいなら、今の僕にだってできそうだ。


伊藤さんの願いが僕を独占するようなことだったら、それには応えられない。僕にはもう沙奈子がいるから。ただ、沙奈子と姉妹になって子供として甘えたいだけなら、別に構わない。


そんな風に考えてる自分に気付いて、僕は、結婚もまだなのに二人も子供ができるのかって、ちょっと苦笑いが込み上げてきてしまった。


だけど、もしそういうことだとしたら、山田さんは『母親』ってことになるのかな?。う~ん…、年齢は上だけど実は甘えん坊のお姉ちゃんに、甘えん坊に見えて実はしっかり者の妹に、泣き上戸ですぐに泣き出しちゃうけど優しいお母さんにって、何だこれ?、本当に絵に描いたみたいな幸せそうな家族の姿じゃないか。


それに気付いて何とも言えない気分になったところで会社について、僕はそんな気分のまま仕事をした。もちろん沙奈子と伊藤さんがどうしてるのかも気になって、もし何か電話でもあったらすぐに気付けるように意識してた。以前は滅多に着信も無いから鞄に入れていたスマホも、最近は上着の内ポケットに入れるようにしてたりする。でもとりあえず午前中は何事もなくいつも通りに過ぎて行った。


昼休み、山田さんはどうしてるかなと思いながら社員食堂に行ったら、いた。山田さんだ。だけどいつもと様子と言うか雰囲気が違う。何だか、暗い…?。


「元気ないみたいだけど、大丈夫?」


僕は珍しく自分から声を掛けていた。もしかしたら初めてくらいかも知れない。するといつもより明らかに疲れた顔の山田さんが応えた。


「すいません…、昨夜よく眠れなくて…」


なるほど寝不足でってことか。妙に納得してしまった僕に、くっきりとクマを浮かび上がらせたどんよりとした感じの視線で問い掛けてくる。


「昨日、玲那れいなと何かありました…?」


怖い…、怖いよ山田さん…。でも、あったと言えばあったし、なかったと言えばなかったからなあ。


僕は少々返答に困っていたのだった。


評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ